DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

晴れのちBLUE BOY

日本の音楽番組の中で歴史的にも伝統的にもトップであるNHK紅白歌合戦。プロの歌手も緊張するステージであり、68回の歴史の中ではハプニングも放送事故もありました。その中で歌手が、いわゆる紅白的なオーソドックスさを打破したステージというのがいくつかあって、いまYoutubeで動画を振り返って見てもなお斬新さを感じます。そういうステージの1つが、1983年の第34回紅白歌合戦沢田研二さんが歌った「晴れのちBLUE BOY」という曲でした。

この作品は1983年5月10日に沢田研二さんの39枚目のシングルとして発売されました。作詞は銀色夏生さん、作曲は大沢誉志幸さん、編曲は大村雅朗さんです。1982年までは日本レコード大賞をはじめとする賞レースに参加していたジュリーですが、1983年に入るとそこから離れるというか、売れ線ではなく独創性を求めた音楽を追求し始めたのかなと思います。前作の「背中まで45分」(作詞・作曲は井上陽水さん)はゆったりとしたサウンドでしたが、この作品は当時は今までに聴いたことがないような小刻みなビートで、斬新でぶっ飛んだアレンジと、沢田さんとバンドのエキゾチックス(Exotics)のメンバーがアーミールックで衣装を揃えて、異様な雰囲気でパフォーマンスをしていたのを覚えています。銀色さんの歌詞もぶっ飛んでましたね。「言いたいことはヤシの実の中 言いたいことはヤシの実の中 ぼくは花火よりひとりぼっち」って。でもいまこの歌詞を読み返すと、実はいまのJ-POPの歌詞につながっているものがあって。ファンキーな面白さは、その後のSMAPの音楽に通じていると思います。沢田さんの音楽って歌謡曲でありながらロックの要素もあるというスタンスは動いていなくて、西城秀樹さんが「日本のロックは歌謡ロック」と言ったその系譜は、今の日本のロックのアーティストが受け継いでいます。

1983年の第34回紅白歌合戦で沢田さんは優れたパフォーマンスだったということで第1回金杯を受賞しています。(金杯・銀杯の受賞は第36回で終了しています。)


k晴れのちBLUE BOY