DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ブーメランストリート

西城秀樹さんの告別式で、野口五郎さんが読んでいた弔辞の中で、

訃報(ふほう)を聞いて君の家に向かう途中で、僕は突然思い出して妻に言った。秀樹の歌で「ブーメランストリート」という曲があって、ブーメランだから「きっとあなたは戻って来るだろう」って歌詞だけど、でも戻ってこなかった人を、アンサーソングとして「ブーメランストレート」ってどう、って言ったら、それ良いねって、秀樹、大笑いして。そしたら彼本当に「ブーメランストレート」っていう曲を出してしまったんだよ。君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレーから突然「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で、五郎、来てくれたね、君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかなってそう思ったよ。

という一節がありました。

「ブーメランストリート」は1977年3月15日に西城さんの20枚目のシングルとして発売された作品です。子供の頃は「ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン」の所しか覚えてませんでしたけど、今改めてこの作品を聴くと、絶唱型の西城秀樹のスタイルを確立した作品だったのだなあと思いました。今の40代のアーティストであるGACKTさん、西川貴教さん、河村隆一さんなどは、この作品を聴いて、西城さんのボーカリストとしてのかっこよさを子供心に認識されたのだろうなと思っています。作詞が阿久悠さんで、編曲が萩田光雄さんというのはわかるんですが、作曲されたのが三木たかしさんというのは意外でした。三木さんというと「ブーメランストリート」を発売した1977年は、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」が大ヒットして、この年の日本レコード大賞中山晋平賞を受賞した印象も強く、その後のテレサ・テンさんへの「つぐない」をはじめとする一連のヒット曲から、ポップスも作るけど、演歌系の作家の方かなと思っていました。ところがそれはぼくの思い違いで、阿久さんと三木さんのコンビで、1976年の「君よ抱かれて熱くなれ」から1977年の「ボタンを外せ」まで、7作連続でシングル曲を提供していたんです。三木さんのウィングの広さに驚きました。

それから15年後、五郎さんが弔辞で披露したとおり、「ブーメランストレート」という作品が1992年11月21日に西城さんの68枚目のシングルとして発売されました。「ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン」のサビ以外は、全く違った作詞と作曲にしたことから、作詞は阿久悠、T'SPARTY、作曲は三木たかし多々納好夫、編曲は池田大介というクレジットで表記されています。西城さんも野口さんもデビューしてから20年が経ち、芸能事務所からも独立して、自由な活動ができる環境にもなったようで、野口さんからの提案が、「音楽でもっと遊んでみよう」という西城さんの気持ちにつながったし、2人はその頃から戦友としての共感を持ち始めたんでしょうね。

 ブーメラン ブーメラン ブーメラン ブーメラン
 きっと あなたは戻ってくるだろう

という「ブーメランストリート」の歌詞の一節を引用して、でも西城さんは亡くなってしまったというコメントも多く見ますが、いま西城さんの作品をもう一度聴いてみようと、シングルやアルバムを買っていく方が急に増えています。西城さんにとって、いま自分の歌を聴いてくれる多くの人が戻ってきていることを、きっと喜んでいてくれると思います。


西城秀樹 ブーメラン ストリート 1977