DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

雨がやんだら

女優の朝丘雪路さんが4月27日に亡くなられていたことが、今日報道されました。歌手の西城秀樹さんや、女優の星由里子さんの訃報が相次いだためか、朝丘さんの報道は「11PMで活躍した」程度の内容でしたが、朝丘さんは宝塚歌劇団月組の娘役として活躍したことや、日本テレビの深夜番組「11PM」のアシスタントを務めて人気が出たことや、お嬢さま育ちのおっとりしたキャラクターでバラエティー番組でも活躍したこと、そして日舞深水流家元として深水美智雪の名称も持つなど、多才の人であり芸能の人であったと思います。そして、見落とされがちであるのは、朝丘さんは歌手としても活躍していたのであり、NHK紅白歌合戦には1957年から1971年までの間に通算10回出場しました。最大のヒット曲である「雨がやんだら」は、1966年以来5年ぶりにカムバックした1971年の紅白歌合戦で歌唱されました。

この作品は1970年10月21日に発売されました。作詞はなかにし礼さん、作曲・編曲は筒美京平さんでした。発売当初はそれほど売れませんでしたが、1971年に入ってからオリコンでも最高5位となるヒット曲となり、1971年の日本レコード大賞で作曲賞を受賞しました。筒美さんにとっても1971年の日本レコード大賞では、尾崎紀世彦さんに提供した「また逢う日まで」がレコード大賞を受賞、渚ゆう子さんに提供した「さいはて慕情」が歌唱賞を受賞、堺正章さんに提供した「さらば恋人」が大衆賞を受賞、南沙織さんに提供した「17才」が新人賞を受賞と、その後大作曲家へと進んでいく基盤を作られました。

朝丘さんは宝塚歌劇団の在団中にジャズ歌手としてデビューしたこともあり、「雨がやんだら」の楽曲もジャズのムードを残した歌謡曲になっています。朝丘さんの歌い方も独特で、「ブルーのカーテン ひきましょう」というフレーズの末尾を「ひきいまあ~しょ~うぉうぉ~」のような感じで、個性的な歌だったなあと思います。

ぼくが朝丘さんの「雨がやんだら」を歌っているのを見たのは、2004年のNHK「第36回思い出のメロディー」に出演をされた時だったと思います。70代を過ぎても元気に活躍をされていただけに、晩年は認知症の療養をされていたというのが信じられない思いです。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌


雨がやんだら/朝丘雪路 2004年