DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

サンタマリアの祈り

今日の昼過ぎに突然入ってきた、歌手の西城秀樹さんの訃報に驚き、ショックを受けた方も多いと思います。脳梗塞の再発や両目の手術による後遺症という困難にも向き合って、懸命のリハビリをされてきて、2016年にはFNS歌謡祭で歌を披露し、2017年には中野サンプラザ、相模大野グリーンホール、大阪オリックス劇場の3会場でのコンサートを成功させました。ご家族の力強い支えを受けて「傷だらけのローラが歌えるようになるように頑張る」という目標で生きて来られただけに、63才での逝去はあまりに若すぎ、あまりに早すぎました。

西城さんの日本の歌謡史における貢献は大きいものがあって、日本のエンターテイメントで、激しいアクションとシャウトする「絶唱系」の歌唱により、当時全盛だった演歌やムード歌謡、青春ポップスとは違う、新しいシンガーのカタチを作り上げました。そして、西城さんのパフォーマンスや作品は、後年のJ-POPの基盤を作ったと思いますし、今の日本で活躍しているロックシンガーが影響を受けている歌手もまた西城さんであったと思います。

また、今では当たり前に開催されているドーム・コンサートのパイオニアであり、当時の大阪球場や後楽園球場での野外イベントを初めて実行したのも西城さんでした。色々なことを試そうとするのは、西城さんの音楽観はアメリカのロックの影響を受けていて、アメリカの歌手のようにエンターテイナーであるなら「素敵な遊びをしなきゃ」という思いが強くあったようです。そして、「ポップスもロックも同じ音楽であり、色々な音楽を聴いて、カバーであっても自分のスタイルで歌うことが大事」という持論を持っていたように思います。

西城さんの多くのヒット曲の1つに「サンタマリアの祈り」という作品があります。歌の幕間にセリフを入れながら、絶唱してシャウトするスタイルの作品は1974年の「傷だらけのローラ」、1975年の「白い教会」とありますが、その1つの完成形が1980年の「サンタマリアの祈り」でした。西城さんの歌やパフォーマンスには、神に祈るとか教会とか、キリストをイメージした振り付けとかあって、歌のテーマも壮大なイメージの作品が多かったと思います。それは西城秀樹というボーカリストのスタイルであったからこそなし得たものだと思います。

その割には、「新御三家」と呼ばれる西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさんは全盛期には「アイドル歌手」として以上の評価を与えられなかったのが不運であったと思います。今のJ-POPは「新御三家」と沢田研二さんによって表現された一連のヒット曲を子供の頃に見聴きして育った人たちが、制作側のリーダーになっているわけで、彼らが与えたその音楽的影響力については、今後も再評価していく必要があると思います。

1980年の紅白歌合戦で「サンタマリアの祈り」を熱唱している西城さんを振り返り、ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌


西城秀樹 サンタマリアの祈り 1980 12 31