DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

かもめの街

カラオケでは非常に多くの曲が歌われていますが、オリジナルの歌手の歌があまりに個性的だったり、優れた歌唱技術であったりするために、素人がカバーするには難しすぎる曲があります。日本の歌謡史の中でトップレベルと言われる歌唱力の持ち主であったちあきなおみさん。彼女の作品は「難曲」が多いですが、その1曲が「かもめの街」という曲でした。

ちあきさんは1969年に「雨に濡れた慕情」でデビューし、1970年から1977年までNHK紅白歌合戦に8回連続出場し、流行歌手としてテレビにも出演していました。ところが1978年に俳優の郷鍈治さんと結婚後は、「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい」として、約10年間の充電期間に入りました。この間、ちあきさんはシャンソンやファドを歌ったアルバムを発売していますが、言葉どおり歌にじっくり向き合ったことが、その後のちあきさんの作品に生きたことはいうまでもありません。

1988年、テイチクに移籍したちあきさんは3月1日にシングル「役者」とアルバム「伝わりますか」を同時発売し、流行歌手としての活動を再開しました。「かもめの街」はこのアルバムの1曲目に収録されました。作詞のちあき哲也さん(ちあきなおみさんと縁戚関係はなく、本名は小林千秋さん)と、作曲の杉本真人さんは作品でコンビを組むことが多く、狩人の「国道ささめ雪」、美空ひばりさんの「みれん酒」、歌手の「すぎもとまさと」としての「吾亦紅」などのヒット曲がありますが、飲み友達でもあり、ちあき哲也さんが経営していた渋谷のスナックでよく飲んでいたそうです。そんな2人が夜更けまで飲み明かした帰りの明け方、朝の渋谷の風景を見て、ちあき哲也さんは「かもめの街」の歌詞を思いついたそうです。
 やっと店が終わって ほろ酔いで坂を下りる頃
 白茶けたお天道(てんと)が 浜辺を染め始めるのさ
 そんなやりきれなさは 夜眠る人にゃわからないさ
 波止場に出れば カモメがブイに2、3羽 
 一服しながら ぼんやり 潮風に吹かれて見るのが
 あたしは好きなのさ
都会のカラスを港のカモメに見立てて、渋谷の街を浜辺に見立てて、ちあき哲也さんは歌詞を書いたそうです。ちあきなおみさんの「かもめの街」を聴いたときは地方の小都市の港町を思い浮かべてましたが、言われてみると、金曜日の夜を飲み明かして、土曜日の朝もこういう気持ちがわからないでもないなあと思います。ちあき哲也さんは「かもめの街」の歌詞を書いて、杉本さんに作曲を依頼しました。定型的な歌詞ではなく、語りのような歌詞でしたが、杉本さんはあまり気にせず、スケールの大きな曲をと思い作ったそうです。こうして「かもめの街」が作られましたが、プロの歌手が歌ってもかなりの難曲なので、しっくり来てない思いが杉本さんはあったようです。そこへ、ちあきなおみさんがアルバムを作成する予定という話を聞いたので、杉本さんは「是非アルバムに「かもめの街」を入れてほしい」とテイチクに申し出たそうです。

レコーディングの日、杉本さんのギターに合わせて、ちあきなおみさんが最初の一節を歌った瞬間、杉本さんは鳥肌が立って、ギターを弾く手が一瞬止まったそうです。

ちあきなおみさんの歌の表現力が堪能できる作品です。


ちあきなおみ かもめの街