DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

帰らんちゃよか

ある人が歌い始めた歌を、他の人が歌って世に知られるようになり、その歌を聴いた別の人がまた歌ってもっと多くの人に愛されるようになるということがあります。「帰らんちゃよか」という歌もそういう1曲だと思います。

この作品は1995年に歌手の関島秀樹さんが、ご自身の両親をモチーフにして作詞・作曲した「生きたらよか」という作品を作ったのがオリジナルです。その後、「肥後にわか」で名を馳せた芸人のばってん荒川さんが、1996年に芸能生活40周年記念ベストアルバム「生きたらよか」に、この作品を、歌のタイトルを「帰らんちゃよか」と変えた上で収録しました。ばってんさんにとっては「帰らんちゃよか」を歌うことは新たなジャンルへの挑戦でしたが、発売当時から好評だったそうです。そして、このばってんさんの歌を聴いて感銘したという演歌歌手の島津亜矢さんが、ばってんさんに「歌わせてください」と頼んだところ、「お前ならよかたい!大切に歌わなんぞ!」と快諾され、2004年にシングルとしてリリースされました。島津さんもパワフルな歌唱力を持つ歌手であることは知っていましたが、なかなかヒット曲に恵まれませんでした。「帰らんちゃよか」はヒット曲というわけではありませんが、多くの場所で歌うことによって作品の良さが浸透し、2015年のNHK紅白歌合戦に14年ぶり2回目の出場を果たし、この「帰らんちゃよか」を歌唱しました。その後、反響があったのは聞きましたが、1コーラスとサビで終わらせる紅白制作陣のセンスのなさは残念に思いました。

「帰らんちゃよか」とは熊本弁で「帰らなくていいよ」という意味だそうです。都会へ行った子供に対し、親のことは心配しなくていいから、自分のやりたいことをやれと励ます歌詞なので、2コーラスをフルで歌わないと話が通らない歌なんです。関島さんもばってんさんも島津さんも熊本のご出身です。ぼくは熊本弁はわかりませんけど、子供を思う親の気持ちっていうのは歌を聴いてて十分伝わりました。

同じ舞台でばってんさんが「帰らんちゃよか」を歌われた後、島津さん「帰らんちゃよか」を歌うという共演の映像がありました。


【帰らんちゃよか】 ばってん荒川/島津亜矢

ばってんさんの歌や仕草や立ち振る舞いは至芸の域に達していて、歌や芸はこうやってお客さまに伝えるものだということを、後を受け継ぐ島津さんに身をもって示しているようでした。歌の引継というのが表だって見れるのも珍しいことだと思います。2004年頃の映像で、その後2006年にばってんさんが亡くなられて、告別式で島津さんは「帰らんちゃよか」を熱唱したそうです。

また、関島さんのオリジナル「生きたらよか」は、演歌ではなく、親の心情を語るように歌われていて、地に根を張った大衆の歌、生活の歌という良さを感じました。


〝生きたらよか〟(「帰らんちゃよか」の原曲) 作詞・作曲・歌 関島秀樹

作品は三者三様、表現方法も違いますが、三者それぞれの持ち味が出ているいい歌になっています。歌い方に方程式や答えはなくて、歌は自分で答えを作っていくものだということを改めて感じた作品でした。