DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

いい日旅立ち

日本の歌謡史上のトップスターの1人であった山口百恵さん。1980年に芸能界を引退後37年を経た今でも、百恵さんの作品は多くの人たちに歌われています。数多くのヒット曲の中で、今の時期になると思い出すのが「いい日旅立ち」という曲です。

この作品は1978年11月21日に、山口百恵さんの24枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲は谷村新司さん、編曲は川口真さんが作られました。「いい日旅立ち」は、当時の国鉄の「DISCOVER JAPAN」キャンペーンのキャッチコピーともなり、この作品はそのキャンペーンソングともなりました。この発売当時は1978年のレコード大賞を始めとする各賞レースの真っ最中でありました。百恵さんの場合は「プレイバックPart2」を歌っていましたし、この年の紅白歌合戦では19才(紅白史上最年少)での紅組トリでも「プレイバックPart2」を歌いました。だから、「いい日旅立ち」は当初は目立たなかったですが、歌詞も曲もじわじわと来るいい作品でしたから、年が明けて1979年に入ってから、ザ・ベストテンで1位になりました。国鉄のキャンペーンもこの作品の大ヒットに預かり大成功となり、1984年1月まで続いたそうです。「いい日旅立ち」のBGMは今でも新幹線に乗っていると聴くことがあります。ちなみに、「いい日旅立ち」キャンペーンを継承したのが、1984年2月からの「エキゾチックジャパン」キャンペーンです。そのキャンペーンソングは…郷ひろみさんの「2億4千万の瞳ーエキゾチック・ジャパンー」です。

さて「いい日旅立ち」は、歌詞を読むと、その情景が思い起こされるのが良くて、どの世代の方が読んでも、それぞれにその歌詞を受け止められるのがいいと思います。サビの歌詞「ああ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる」は、その後ネットワーク社会の世の中になった今では、ますます意味のある歌詞になったなあと思っています。もはや、「世界のどこかに」かもしれませんけど。主人公であるそれぞれの人が、「夕焼けをさがしに 母の背中で聞いた歌を道連れに」、「羊雲をさがしに 父が教えてくれた歌を道連れに」、「幸福(しあわせ)をさがしに 子供の頃に歌った歌を道連れに」、いい日旅立ちを続けているわけです。ぼくもいろいろな歌を傍らに生きてますし、DAM★ともを通じて、直接会うことはできませんが、多くのユーザーさんたちの歌声を聴いて、それを自分の糧にできればいいと思っています。


山口百恵「いい日旅立ち」[Digital refine ]【HD】