DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ひばりのマドロスさん~リンゴ追分~人生一路

昭和の戦後の歌謡界を代表する歌手である美空ひばりさん。NHK紅白歌合戦には昭和29年から昭和47年までの間に合計17回出場しました。このうち13回がトリを務め、さらにこのうち大トリが11回、昭和38年から昭和47年までは10年連続トリを務めたという、おそらく今後も破られないだろう、別格の記録を持っています。しかし昭和48年、ひばりさんの実弟のかとう哲也氏の不祥事・逮捕を機に、ひばり一家山口組(当時の田岡組長)との関係が今更取り沙汰され、社会的なバッシングを浴びるようになると、NHKはひばりさんをその年の紅白歌合戦の出場者から外しました。以後ひばり一家は「家族の絆を守る」としてNHKとの関係を断絶し、翌年の大晦日からは日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が用意した「美空ひばりショー」への出演を続けました。昭和52年になるとNHKは「ビッグ・ショー」(この番組に出演することは、一流歌手になったことの証明とも言われました。)への出演をひばりさんにオファーし、ひばり一家と和解しますが、紅白歌合戦への出場打診に対しては拒否を続けました。そして、昭和54年、第30回紅白歌合戦に当たって、NHKは美空さんに「特別出場として、戦前の代表歌手として藤山一郎さんにもご出場いただくので、戦後の代表歌手として出場してほしい」と打診、「その趣旨なら」と美空さんは出場を了承しました。そして当日、メドレーとして歌われたのが、「ひばりのマドロスさん~リンゴ追分~人生一路」でした。

Youtubeで当時の映像を振り返ると、昭和40年代までのひばりさんは「歌謡界の女王」として堂々たるものでしたが、昭和54年の紅白では余裕のある柔和な表情を見せて、全く曲調の違うこの3曲を実に上手く歌い分けて、そして存在感のある迫力あるステージを見せました。やはり紅白では気合いが入るようで、「人生一路」でのノリの凄さは、他のステージでの歌唱とは群を抜いて違っていたように思います。天童よしみさんもひばりさんの歌をうまく歌われてはいますが、迫力やノリの凄さは、普通の歌手にとっては「乗り越えられない壁」なのかもしれません。

美空ひばりさんの歌い方は、歌のシメの部分を堂々とキメて歌い納めるというか、ある種歌舞伎の大見得を切るようでもあるんですが、より特筆すべきは、音感の良さ、耳の良さ、リズム感の良さにあったのではと思っています。ひばりさんの映像を見ると、バンドが音を間違えたりすると瞬時にその方向を見るというシーンがあったり、演奏が自分の歌に合わないと思うと、自分が歌いながら指揮でもするかのようにピッチを上げさせるように誘導したりするシーンがあったりします。バンドを自分の思いに動かせるのは美空ひばりだからだと思います。

昭和54年の紅白での美空ひばりさんの映像は、彼女を知らない世代の人たちにとって、とっかかりやすい内容だと思います。


ひばりのマドロスさん~リンゴ追分~人生一路 美空ひばり