DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ブルースカイブルー

10月10日は1999年までは「体育の日」の祝日でした。「体育の日」の由来は1964年10月10日の東京オリンピックの開会式でした。この日は抜けるような青空の秋晴れの日だったそうです。開会式の日を決める際に「晴れの特異日」は基準になったようですが、晴れの確率が1番高かったのは10月15日、2番目が10月10日だったそうです。結局、10月10日が土曜日だったので開会式の日に選んだそうです。その後、東京オリンピックを記念して、1966年に10月10日が「体育の日」と制定され、1999年まで続きましたが、2000年にハッピーマンデー制度が適用されてからは、10月の第2月曜日になりました。さて、抜けるような青空ということで、秋晴れの季節にも似合いそうな1曲が、西城秀樹さんの「ブルースカイブルー」という曲です。

この作品は1978年8月25日に西城さんの26枚目のシングルとして発売されました。作詞は阿久悠さん、作曲・編曲は馬飼野康二さんです。馬飼野さんは「ちぎれた愛」、「傷だらけのローラ」、「炎」など、西城さんの初期の作品を多く提供されていますが、その後もジャンルを問わず、松崎しげるさんの「愛のメモリー」、和田アキ子さんの「だってしょうがないじゃない」、日野美歌さん・葵司朗さんの「男と女のラブゲーム」、SMAPの「オリジナルスマイル」、KinKi Kidsの「愛されるより愛したい」など、今もヒットメーカーであり続けているのが凄いと思います。阿久さんは沢田研二さんへの提供のイメージがあるので、西城さんへの提供というイメージがあまりなかったんですが、実は1976年2月25日発売の16枚目のシングル「君よ抱かれて熱くなれ」から、「ブルースカイブルー」まで、ほとんどのシングルの作詞が阿久さんの提供だったんですね。阿久さんへの西城さんの事務所からの依頼は「西城秀樹を少年から青年に成長させてほしい」というものだったそうです。この間のシングルはワイルドな路線の「ジャガー」や「ブーメランストリート」もありましたが、西城秀樹のもう1つの路線である「スケールの大きな歌」も歌っていくようになり「若き獅子たち」を経て、青年に達した卒業作品が「ブルースカイブルー」だったのかなと思います。翌年には西城さんの最大のヒット曲になる「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が発表されるんですが、「ブルースカイブルー」の方が良質なバラードというか、西城さんがいくつになっても歌える歌だったのではないかと思います。

2006年に河村隆一さんが自身のアルバムでこの作品をカバーしていますが、西城さんの歌に倣って歌われている印象でした。結構歌ってみると難しい歌です。

1978年の紅白歌合戦で西城さんはこの作品を歌いましたが、紅白で初めてドライアイスを使ったのもこの作品です。


ブルースカイブルー  西城秀樹