DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

マック・ザ・ナイフ

DAM★ともでぼくが歌うアーティストにはSMAPKinKi Kids田原俊彦さんなどジャニーズ事務所の歌手の曲が割と多いです。いま権勢を誇っているジャニーズ事務所の源流を、Youtubeで発見することができました。ジャニーズの「マック・ザ・ナイフ」という曲でした。

ジャニー喜多川さんはロサンゼルスで生まれた日本人でしたが、1952年頃からは来日してアメリカ大使館で働いていたそうです。また、自分の住んでいた占領アメリカ軍宿舎「ワシントンハイツ」で、近所の少年たち約30人を集めた野球チームのコーチもしていました。(「ワシントンハイツ」は1946年に建設され、1964年に日本に返還されるまでのアメリカ空軍及びその家族のための団地を建てていた在日米軍の軍用地でした。現在、その土地は代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターになっている場所で、調べたぼくも驚きました。)その野球少年のうち4人を選んで、映画「ウェストサイドストーリー」を鑑賞後、エンターテイメント事業を興そうと、1962年6月にジャニーズ事務所を創業、その野球少年4人が「ジャニーズ」を結成したのです。

デビューと同時に、当時のNHKの人気番組「夢であいましょう」に出演するようになりましたが、「歌って踊れるアイドル」は当時いなかったため、当時の御三家(橋幸夫舟木一夫西郷輝彦)とかち合うこともなく、逆に重宝がられたようです。当時のジャニーズ事務所は渡辺プロ(当時は今のジャニーズみたいな権勢でした)との業務提携を行っていたこともあったと思いますが、1965年の紅白歌合戦でジャニーズは初出場を果たします。ここで披露したのが「マック・ザ・ナイフ(Mack the Knife)」は音楽劇「三文オペラ」の劇中歌として大ヒットし、今ではスタンダード・ナンバーになっている曲です。

さて、当時の紅白はスタンド・マイクが1本立っているだけですが、若いジャニーズの4人はしっかりとした歌声で、コーラスも交えながら、間奏では衣装の早着替えもして華麗にダンスを踊って、古きよきアメリカを感じさせるパフォーマンスでした。もちろん、口パクなんて全くやってません。このジャニーズのメンバーとは、真家ひろみさん、飯野おさみさん、中谷良さん、あおい輝彦さんの4人でした。この動画を見て思ったのは、この時から52年が経ち、ジャニーさんの初心は果たせているのかなということ。ジャニーズのパフォーマンスを再現できる人材は育っていたのでしょうか。


50年前の紅白 ジャニーズ初出場「マックザナイフ」