DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

夏の終わり

8月16日に京都では五山の送り火が行われ、今日の東京は夕方から突然の雷で大雨となりました。「遠雷」(えんらい)は夏の季語でもありますが、そろそろ夏も終わりに向けて動き始めた感じです。夏の終わりを歌ったヒット曲も多くありますが、その1曲が森山直太朗さんの「夏の終わり」です。

この作品は元々は、2003年6月18日に発売された森山さんの3枚目のミニアルバム「いくつもの川を越えて生まれた言葉たち」の1曲として収録されましたが、2003年8月20日には森山さんの3枚目のシングルとしても発売されました。作詞は御徒町凧さん、作曲は森山さん、編曲は中村タイチさんという、森山さんの作品のいつものチームです。

歌詞は夏の終わりの情景を歌っていて、遠くにいる人を思っている内容です。「水芭蕉揺れる畦道 肩並べ夢を紡いだ 流れゆく時に笹舟を浮かべ」なんて、夏の田舎の風景のようです。「夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの いつかと同じ風吹き抜けるから」だけを拾うと、ひと夏の恋の終わりとか、「夏の終りのハーモニー」や「真夏の果実」が請け負っている歌の世界かなと思ってしまいますが、実はこの作品の歌詞の底流には「反戦」の意思が流れていたのを、他の一節で知ることになりました。「焼け落ちた夏の恋唄 忘れじの人は泡沫(うたかた)」「追憶は人の心の 傷口に深く染み入り 霞立つ野辺に夏草は茂り」「夏の祈りは 妙なる蛍火の調べ」という言葉には、戦争が終わった夏を振り返る、人々の祈りを感じます。

ぼくはこの歌をDAM★ともでも何回も歌っていますが、楽曲にどこか沖縄っぽさを感じるなあとは思っていましたが、直太朗さんも「この歌は反戦歌」と語っていらっしゃるように、戦争を振り返る上で沖縄を語らずにはいられないという思いがあったのだろうと思います。そんなに深い意味がある歌だったとは気づきませんでした。


森山直太朗 - 夏の終わり