DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

さよならの向う側

ヒット曲を歌った歌手は数多くいますが、その時代に影響を与えた歌手となると限られてきますが、山口百恵さんはその1人だと思います。1973年5月21日に「としごろ」でデビューし、1980年10月15日に引退するまでの約7年間、歌手としても女優としても人気を博しましたが、三浦友和さんとの結婚を発表してから引退までの約1年間は「百恵ブーム」が最高潮に達しました。トップで活躍している歌手が、結婚して芸能界を引退するというのは、それまでの芸能界の感覚では信じられないことでしたし、百恵さんの潔い決断を一般大衆もあたたかく受け入れたことも大きかったと思います。その百恵さんが引退前に発売した最後のシングルが「さよならの向う側」という曲でした。

この作品は1980年8月21日に、山口百恵さんの31枚目のシングルとして発売されました。作詞は阿木燿子さん、作曲は宇崎竜童さん、編曲は萩田光雄さんで、百恵さんの後半期のシングルを何曲も提供してきたチームです。文字通り、百恵さんの引退のはなむけのために提供された作品で、宇崎さんもこの作品については「直球、ストレートに作った」とコメントされています。歌詞も、数多くの「あなた」への感謝が綴られています。何億光年輝く星にも寿命があると教えてくれたあなた、季節ごとに咲く一輪の花に無限の命があると教えてくれたあなた、眠れないほどに思い惑う日々を熱い言葉で支えてくれたあなた、時として一人くじけそうになる心に夢を与えてくれたあなた。百恵さんを支えてくれたファンやスタッフへの感謝も込められています。そして、そんな「あなた」のことは忘れないと言っています。あなたの燃える手、あなたの口づけ、あなたのぬくもり、あなたの呼びかけ、あなたの喝采、あなたのやさしさ、そしてあなたのすべてを。そして私のうしろ姿は見ないでください、あなたのうしろ姿も見ないでゆきます、約束なしのお別れです、今度はいつと言えませんと、これは芸能界からの決別という百恵さんの強い意思を汲んだ阿木さんが書いたのだと思います。百恵さんの引退後、都はるみさん、森昌子さんも引退しましたが、結局復帰しました。高田みづえさんも1日だけ復帰しました。でも百恵さんは決して復帰はしませんでした。それが偉いと思います。

「さよならの向う側」は、百恵さんの引退向けではありましたが、楽曲としてはきちっとしたバラード曲になっている良い作品だと思います。だから、この作品は日本の歌手だけでなく、レスリー・チャンをはじめアジアの歌手も数多くカバーしています。ただ、百恵さんの引退曲というイメージが強すぎるため、聴く者としてはカバーされた歌をしっかりと昇華できない感じがしました。それとこの作品は、ぼくも歌ってみましたが、音程を安定して歌い続けるのが意外に難しい曲だと思いました。山口百恵さんの歌唱力の強みは安定感のある歌い方にあったと思いますが、その強みをこの作品でも生かしていているように思います。

最近、Youtubeで、百恵さんの長男である歌手の三浦祐太朗さんが「さよならの向う側」を歌っているのを見たんですが、他の歌手のカバーを凌駕する歌だったので、とてもいい歌だと思いました。その歌番組に共演していた宇崎さんが「DNAを感じる」とコメントされたのが秀逸で、歌唱力だけでは習得できない遺伝子の力が加わっているようでした。森山直太朗さんの歌を聴いたとき、その後ろに森山良子さんを感じたのと同じ感じでしょうか。それまで祐太朗さんの歌を聴いたことはあったんですが、あまり感情が表に出ない声なので、いい声質なんですけど、もっと表現をつけてもいいのにと思ったことがありました。今回、祐太朗さんは母の歌をカバーすることには葛藤があったそうです。でも、それが良かったと思います。歌に祐佑太朗さんの気持ちが乗っかるように聞こえ、歌が上手くなったように感じました。宇崎さんもそれを感じていたように思います。


さよならの向う側 三浦祐太朗