DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

アメリカ橋

作曲家で歌手の平尾昌晃さんが7月21日に亡くなられました。ここ1、2年のテレビ番組でのお姿を拝見すると、体調が悪いのかなとは思っていましたが、突然の訃報に接し驚きました。ぼくにとっては平尾先生は、clubDAM歌唱検定の審査員として審査をしていただいたことが思い出です。水谷豊さんの「カリフォルニア・コネクション」を原曲キーで歌ったんですが、平尾先生の審査コメントで「キーを1つ上げて、歌ったらいいと思いますよ!」と返ってきたので、もう1回キーを1つ上げて歌ったものを出しました。それに対する平尾先生のコメントが「良くなりましたねえ!」でした。素人の人にも優しく接してくださるお人柄が何となく感じられました。

平尾先生のヒット作品の中で、1998年にヒットしたのが山川豊さんの「アメリカ橋」という作品です。作詞は山口洋子さんで、山口さんと平尾さんのコンビは、「よこはま・たそがれ」で五木ひろしさんを演歌の大スター歌手に押し上げたコンビでもあります。

「アメリカ橋」はJR山手線の目黒駅と恵比寿駅の間に実在する橋で、恵比寿ガーデンプレイスの近くにあり、山手線の線路の上を通っている跨線橋です。正式には「恵比寿南橋」というんですが、1904年にアメリカでのセントルイス万国博覧会に展示されていたものを、当時の明治政府の鉄道作業局が買い取って、1906年に鉄製の橋のモデル橋として、現在の場所に架設されたことが、「アメリカ橋」の由来でもあります。

 

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山口さんの歌詞では、アメリカ橋の風景と、かつての恋人同士の再会と別れを描いています。「アメリカ橋のたもと ふと通うぬくもり やるせない恋 埋めた街 角部屋の灯り」と、恵比寿あたりの情景が目に浮かんできます。平尾さんはこの歌詞に3拍子のリズムをつけたメロディーを作られました。1番の「いつか いつか 熱かった青春」、2番の「遠い 遠い かえらない青春」、最後の「はるか はるか あの頃が青春」あたりは、この3拍子をうまく歌の表現に使っていて、青春の思い出を振り返る様がよく出ているように感じました。

山川豊さんが「アメリカ橋」を歌われているのを初めて聴いたとき、「これはヒットするだろう」と思いました。山川さんは1998年と1999年の紅白歌合戦で「アメリカ橋」を歌唱しましたが、1998年の紅白では山川さんと平尾さんがデュエットで歌唱しました。そして「アメリカ橋」は1998年の第31回日本作詩大賞を受賞しました。

平尾さんは男性の歌手に提供する曲は「ぼくが歌ったらどうなるかなと思って作っていた」そうです。山川さんの歌もいいですけど、もし平尾さんがオリジナルで「アメリカ橋」を発売していたら、もっと大ヒットしていただろうなと思います。

在りし日の歌いたがりな平尾先生をしのび、ご冥福をお祈り申し上げます。


山川豊 アメリカ橋 作曲家 / 平尾昌晃とのコラボ