DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

難破船

DAM★ともで公開曲のユーザーさんが多いアーティストの1人が中森明菜さんです。そして、明菜さんの曲を歌っているユーザーさんは女性に限らず、男性ユーザーも結構多く歌っているのが特徴です。ぼくも明菜さんの曲を何曲か公開したことがありますが、男でも感情移入できる女心が感じられるからなのかなと思います。数多くの明菜さんの曲の中で印象深い曲の1つが、「難破船」という曲です。

この作品は作詞・作曲が加藤登紀子さんです。元々は1984年12月1日に発売された加藤さんのアルバム「最後のダンスパーティ」に収録された、加藤さんのオリジナル曲でした。その後、加藤さんは、明菜さんがテレビ番組で22才の誕生日のお祝いを受けているシーンを見て、この作品のシーンと明菜さんの雰囲気が合っていると考え、加藤さんから明菜さんに、私は当分歌わないからこの「難破船」を歌って欲しいという手紙を出されたそうです。加藤さんのリクエストを受けて、明菜さんは「難破船」をカバーすることとなり、1987年9月30日に19枚目のシングルとして発売されました。

9月の発売であるにもかかわらず、各種のチャートで連続1位となったこともあり、1987年度のオリコンチャート6位となり、1987年の紅白歌合戦でも歌唱されました。

「難破船」を歌うときの明菜さんは、まるで命を削っているかのようなギリギリの感情を醸し出しながら、歌詞をかみしめるように、語るように歌っていたのが印象的でした。歌詞は恋人をなくした女性の心の叫びを書いています。たかが恋なんて忘れればいいと強がりを言ってみせるのは彼を忘れるためで、「さみしすぎて こわれそうなの 私は愛の難破船」。みじめな恋を続けるより、別れの苦しさを選ぶと言って「別れた朝には この淋しさ 知りもしない 私は愛の難破船」。たかが恋人をなくしただけで、何もかも消えたと思う「ひとりぼっち 誰もいない 私は愛の難破船」。

加藤さんが歌う「難破船」は、俯瞰して失恋した女性の思いを歌っているのに対し、明菜さんが歌う「難破船」は、明菜さんが主人公の女性に憑依したかのように思わせるところがありました。時に歌謡曲の歌詞は、歌った歌手の未来を言い当ててしまうことがあります。お登紀さんはテレビに映った明菜さんに、揺れ動く女心を読み取ったのかもしれません。1989年7月11日、明菜さんは当時恋人だった近藤真彦さんの自宅マンションで自殺未遂事件を起こします。これがきっかけで、明菜さんは1989年の紅白歌合戦に落選し、徐々に第一線から姿を消していくことになります。この事件さえなければ、もっと明菜さんの歌の世界は広がったかもしれません。周りでショックな出来事があっても、常に心を強く持っていないと、第一線で活躍することができないものなんですね。


難破船 加藤登紀子


難破船 中森明菜