DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

想い出のセレナーデ

youtubeで昭和の名曲に出会うことは多いですが、天地真理さんが1974年9月に11枚目のシングルとして発売した「想い出のセレナーデ」もその1曲です。

天地真理さんは当時の名ドラマ「時間ですよ」で「隣のマリちゃん」役で名前が売れて、1971年に「水色の恋」で歌手としてデビューし、歌手として「国民的アイドル」という地位を初めて確立した方だと思います。1972年には「ひとりじゃないの」で紅白歌合戦に初出場し、1973年には「恋する夏の日」で紅白歌合戦に2回目の出場を果たし、1974年には「想い出のセレナーデ」で紅白歌合戦3回目の出場となりました。当時のアイドル歌手の人気は「女性が3年、男性が5年」と言われた頃で、1974年には天地さんの人気も徐々に下火になっていった頃でした。「想い出のセレナーデ」の作詞は山上路夫さん、作曲は森田公一さんですが、この2人は天地さんのデビュー以来シングル曲を多く提供してきたコンビでもありました。お2人が作られてきた作風から見ると、「恋する夏の日」のようなアイドルの典型的な作品を何曲も提供してきたことがむしろ異例に感じますが、これは当時の渡辺プロやCBSソニーが「女性アイドル歌手のモデル像」みたいなものを作って、作詞家も作曲家もその方針に従い、そして天地さんもまたその方針に従い、作品が提供されたのだと思います。「想い出のセレナーデ」は、そんなアイドルの偶像が飽きられ始めた頃、挽回するために作った作品であったので、本来の山上さん、森田さんの作風が取り戻されているように思います。この作品は、歌詞に風景が感じられます。「あの坂の道で 二人言ったさよならが 今もそうよ 聴こえてくるの」「あの駅を降りて そうよ坂をのぼったら あなたの家 見えてくるのよ」と、主人公の女性は、付き合っていた男性の家を、季節の花をかかえては訪ねた夢のような日々が、今は過ぎ去ってしまい、あの素晴らしい愛は彼に届かないという話です。作曲も天地さんの本来の歌唱法が生かされているようで、彼女は短い音符を続けて歌うよりも、長い音符を伸びやかに歌った方が得意で、また当時のきれいな高音域をサビで生かしたことも、この作品を良いものにしたと思います。

1974年の紅白歌合戦で、紅組司会の佐良直美さんが「今年話題になった1つとして、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナ・リザ」が日本に来たことがございました。モナ・リザといえ微笑み、微笑みといえば天地真理さん、想い出のセレナーデです」と言って天地さんを紹介したのですが、彼女は過去2回の紅白とは違い、やや暗い表情で微笑みも浮かべず1コーラスを歌いました。そして、間奏の後のサビのところで彼女の表情が柔らかくなり、「きらめくようなひとときを あなたと生きてきたことを これからも忘れないわ いつも胸に抱いて」と歌ったのが、異様に輝いて見えるんです。「モナ・リザ」の微笑みも、そういえば謎めいた表情を浮かべていました。佐良さんが言い当てたのではないでしょうが、天地さんはもうすぐアイドル歌手としての自分が終わろうとしているのを、この時に感じていたのかもしれません。どこかはかなさを感じる曲にぼくは魅かれました。