DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

The House of the Rising Sun(朝日のあたる家)

「The House of the Rising Sun」はアメリカのトラディショナルなフォーク・ソングで、いわゆる口伝えで歌い継がれてきた歌で、作詞・作曲は不詳です。1930年代にはこの歌の原型と見られる録音があったそうです。日本では「朝日のあたる家」としてカバーされ、ぼくがこの歌を初めて聴いたのは、ちあきなおみさんの特集番組の中でであり、今まで見たことのなかったちあきさんのド迫力な歌い方に圧倒されました。

ちあきさんが歌ったのは、浅川マキさんが日本語詞を書いたバージョンで歌っています。この歌は、娼婦になってしまった女性が、人生を懺悔している内容で、「The House of the Rising Sun」という娼館がアメリカで実際に存在していたという話もあります。多くのアーティストがこの作品をカバーしていますが、ボブ・ディランが1962年のデビュー・アルバム「ボブ・ディラン」に収録しています。そして、イギリスのロックバンドであったアニマルズ(The Animals)が1964年にシングルとして発売し、アメリカとイギリスでチャート1位を取りました。日本では浅川さんが原曲に忠実な解釈で日本語詞を作り、1971年9月に発売したアルバム「MAKI Ⅱ」で「朝日楼(朝日のあたる家」として発表されました。ちあきさんはコンサートでこの作品を歌うことがあったそうで、ファンの間では「幻の名曲」ともいわれていました。1994年にちあきさんが音楽活動を停止してから8年後の2002年、ちあきさんの未公開のライブ音源が発見され、その中に「朝日のあたる家」もあり、2003年4月に「ちあきなおみ VIRTUAL CONCERT 2003」として発売されるに至りました。

「あたしが 着いたのは ニューオリンズの 朝日楼という名の 女郎屋だった」といきなりちあきさんの強烈な歌唱から始まります。ちあきさんの凄いところは、歌い方がいくつかパターンがあって、youtubeの映像を見ても歌い方を変えているのがわかるんですが、どのパターンでも見事に歌で娼婦を演じきっていることです。ぼくはこの歌詞の中で「ときどき思うのは ふるさとの あのプラットホームの 薄暗さ」という一節にひかれていて、それはニューオリンズではなく、日本の地方の駅の薄暗いホームも思い出されるし、東京の私鉄沿線の小さなホームも思い出されるし、どこにいても心が寂しくなることはあるし、娼婦の歌であるのに、多くの人から共感を得られたのは、人生の底流にあるやるせなさとかを、誰もが味わっているからなんだろうと思いました。

このちあきさんバージョンの「朝日のあたる家」はDAM★ともにあったので何年か前に公開しましたが、何かちあきさんのものまねみたいになってしまったので、早々に引き揚げました。