DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

トーキョー・バビロン

日本の歌手が外国で作品をヒットさせるというのは滅多にないことです。坂本九さんの「上を向いて歩こう」以来、2011年にピンク・マルティーニとのコラボレーションアルバム「1969」が、アジア・アメリカ・ヨーロッパと海外諸国で幅広くヒットしたのが、由紀さおりさんでした。

「トーキョー・バビロン」は1978年(昭和53年)9月に発売された作品で、作詞がちあき哲也さん、作曲が川口真さんです。この年の紅白歌合戦でも歌唱されましたが、セールス的には当時ヒットしませんでした。昭和50年代の由紀さんは色々な作品に挑戦していて、宇崎竜童さんが提供した「う・ふ・ふ」とか、ポール・モーリアの作曲になかにし礼さんが訳詞をした「悲しい悪魔」とか、ぼくはいいと思っていて、「トーキョー・バビロン」は今聴いてもかっこいい曲だと思います。この作品の「トーキョー」のイメージは、ぼくは六本木を連想しましたが、「バビロン」とは古代の都市バビロンの他に「華美と悪徳の都」という意味があり、欲望がうずまく大都会では夢を求める多くの者たちがひしめきあっている、そんな世界を描いています。「星までのぼるガラスのエレベーター」で始まる歌詞はおしゃれだと思いました。「Rのボタン 光がたどりつけば 時間を超えた楽園」都会の華やかさって感じが出ています。「舞姫を誰も夢に見るけれど まぼろしでかかと挫くだけ」ふとしたことで挫折してしまう。このようなファジーな歌詞を織り交ぜながら、作曲は川口さんが由紀さんのファルセットをうまく使った音階で洗練された歌謡曲に仕上げられています。youtubeで映像も見ましたが、「なんで売れなかったんだろう」という視聴コメントがちらほらあったりします。実は同じ昭和53年は庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」が大ヒットしますが、この作品の作詞もちあき哲也さんです。この2曲、まあまあ似た雰囲気を感じるんですが、ヒットするかはわからないものです。

由紀さんは昭和53年の紅白歌合戦を最後に、しばらく紅白落選となり、ご本人もこれが挫折となって模索をするなかで、歌の主軸を歌謡曲から童謡に変えてしまいます。この成果が実って、昭和62年、9年ぶりに紅白歌合戦に復帰します。そして平成4年の紅白歌合戦では「赤とんぼ」で初の紅組トリとなりました。しかし、由紀さんがその間歌謡曲から離れてしまったのが惜しいと思います。「1969」のヒットで図らずも最近になって、歌謡曲由紀さおりが再評価されたことは良かったと思います。