DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

Triangle

DAM★とものユーザーさんたちの新曲公開も年内は12月28日で終了しました。年明けは1月5日から新曲公開が開始します。年末年始はよく聴くユーザーさんたちの公開曲をゆっくりと聴きたいと思います。

2016年は、1月上旬の突然のSMAPの解散騒動に始まり、SMAPの年末解散で終わるという、皮肉な「SMAP YEAR」となりました。年末に発売されたBest Album「SMAP 25 YEARS」にも収録された「Triangle」は2005年11月に発売されたシングルです。2005年の夏のイベントでこの作品は初披露されたんですが、ファンの評判が良かったため、CD化された経緯がありました。SMAPは2005年の紅白歌合戦で2度目の大トリを任され、この「Triangle」を歌いましたが、歌詞の内容は戦争や平和を歌った内容だったので、当時はSMAPもこういう歌を歌うようになったんだなあと思っていました。

あれから11年経ちましたが、改めて歌詞を読むと、一般的にこの歌は反戦歌と揶揄する方もいますが、それ以外にもなかなか深い意味がこめられていたんだと気付きました。「都心を少し外れた 小さなこの部屋から どんなに目を凝らせど 見えないものばかりだ」でこの歌は始まります。自分が見えてるものだってわからないことは多いですし、見えないものなんて無限にあります。「すべてに満ち足りた 明日の日を 求め彷徨う 亡者の影 破壊でしか見出せない 未来の世界を愛せないよ」ここはなかなか深いです。別に戦争だけを暗喩しているのではなく、日常の仕事や生活の環境に、いろいろな亡者がいると思います。「自由でこそ 生命(いのち)だから」「それぞれ重さの同じ 尊ぶべき 生命(いのち)だから」ここも戦争と平和の対比だけではなく、人はそれぞれ異なっていることを認め合うことで、各人は自分の意思を自由に主張できるんだということだと思います。そして「精悍な顔つきで 構えた銃は 他でもなく 僕らの心に 突きつけられてる」「そう、怯えるキミの手で」自由を履き違えてしまうと、我儘に転じ、亡者になってしまう。被害者の立場でいた自分が、いつのまにか加害者に転じている。こんなことって自分の周りにもあるなあと思います。

そんなに楽しいテーマの歌ではないのに、この歌をいい歌と認めたSMAPファンは見る目があったし、アイドルが歌うような歌ではないのに、自分たちの持ち味でこの歌を表現したSMAPも素晴らしいと思います。

作家の五木寛之さんが数日前に新聞記事で、「歌謡曲は時代と寝ないといけないし、ルサンチマン(弱者が強者に対してもつ憎悪や妬み)を反映したものである」とコメントされているのを見ました。世相や世界情勢を底流に人は生きているのですから、その生活の中で感じたことを歌にする方が自然なんだろうなと思います。