DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

昼カラ

2月にお伺いしたカラオケスナックのお店が、通常営業ではありませんが、昼カラのみ営業を再開したということで、5月14日のお昼に行ってきました。限定4名ということなので、ぼくも事前に予約を入れまして、この日はぼくを含め男性3名でした。

お店に入って、マスターに体温測定をして頂き、他のお客さんとの間隔はソーシャルディスタンス的に空いていて、マイクの持ち手は渡されたおしぼりで包んで接触を避けたり、換気をこまめにしたりなど、感染予防の対策もしっかりとされていました。俯瞰してみると、この店内の配置が結構シュールな感じでしたが。

ぼくが最初に歌ったのは、多岐川舞子さんという演歌歌手の方の「風の尾道」という曲でした。前回この店にお伺いしたときご一緒したご婦人が歌われていて。その時聴いていていい曲だなあと思ったので、その後カラオケに行った時に練習して、95点以上は取れるようになったので、次にお伺いしたら最初に歌おうと、心に決めていました(笑)。

ご一緒した男性のお2人が、歌の上手い方でした。平日のお昼にわざわざ時間を作って来ているわけなので、歌うのが好きで上手いのはよくわかります。ぼくの隣の席の男性の方は玉置浩二さんがお好きな方で、しっとりとしたバラード曲を多めに歌われていました。もう1つ隣の席の男性の方は若い方でしたが、昭和の曲も歌っていて、高音の綺麗な声で歌われていました。
3人のローテーションで順番に曲を決めて歌うというのは、ぼくは結構大変でした。歌いおわったら、次の方が歌い終わるまでに次の曲を決めなければならなくて。「風の尾道」以外は何を歌うなんて決めてませんから、何となくお店の雰囲気に合いそうかなとか、この曲ならお2人もわかるかなあという感じで、曲を決めていきました。だから、全然歌ったことがない曲もありましたけど、歌ってみました。

人前で歌うのは、結構歌っている自分が試されているところがありまして、ぼくも聴いている方に向かってちゃんと歌わないといけないって気持ちになっていきます。「こんなに上手く歌えるんだよ」みたいな歌はぼくは歌えませんけど、それをやったとしても、聴いている方が退屈な様子を見せたら意味がないわけで、どれだけこの時間を楽しく過ごせるように、自分は歌でやれるかなみたいなのが頭の中にありました。

2月に歌ったときは、カラオケスナックで歌うこと自体が久しぶりでしたので、歌のコントロールもままならなかったですけど、今回は前回よりは、抑えるところと強めに歌うところを使い分けたり、それと押し付けがましい歌い方はせずに歌えることができたのが良かったです。

それと、収穫は他の2人の方の歌で、新しい歌を何曲もその場で聴くことができましたので、カラオケに行ったら歌ってみようと思う曲が何曲もできたことです。カラオケ大会は自分でこの曲と決めた曲を何回も練習して仕上げていきますけど、最近はカラオケアプリもやるようになって、欲しいのはとっさに歌える曲のレパートリーなんですよね。完璧は求めていませんけど、「この曲を一緒に歌おう」と言われたら、そこそこ対応していく地力は持っておきたいし、その方が歌を楽しめる時間になると思いました。

マスターの歌を聴く姿勢は、ぼくも勉強になりますし、また時間ができたら、お伺いしたいお店です。

眠れぬ夜

最近、カラオケアプリで歌うようになってから、いろいろなジャンルのいろいろな曲を歌うようにしています。カラオケアプリは、ぼくはタブレットにイヤホンマイクを挿して歌っていますが、まだ始めたばかりなので、イヤホンマイクと音量とエフェクトの調整がまだうまくきません。歌ってみて、録音した声を聴いてみて、相性がいいかもと思った曲を投稿しています。

このブログもなんですけど、ぼくはあらかじめブログの原稿を書き貯めているわけではなく、閃きとインスピレーションだけで、「この曲のことを書いてみよう」と書き始めます。歌も同じで、「こんな歌があったなあ」と思いついたら、歌ってみようと歌ってみる。まあ、いい加減なやつなんです。

そんな1曲が西城秀樹さんの「眠れぬ夜」でした。でも、そのカラオケアプリには西城さんバージョンの音源はなくて、オフコースの音源しかありませんでした。その音源をベースに、歌い方は西城秀樹さんをイメージしながら、ぼくは歌ってみました。

この「眠れぬ夜」について調べてみると、様々な恩讐を経て作られた経緯がありました。原曲は1975年12月20日オフコースの7枚目のシングルとして発売されました。当時のオフコースはまだブレイクしていない時期で、メンバーも小田和正さんと鈴木康博さんの2人体制でした。この曲は当時オリコン48位に入るスマッシュ・ヒットとなりますが、楽曲については、当初バラード調の曲で小田さんが作ったのに対し、プロデューサーの武藤敏史さんがミディアムテンポのロック調に変えてしまったので、小田さんは相当作品の仕上がりに不満を持っていたと言われています。

その後、1981年3月、西城さんはフォークやニューミュージックの曲をカバーしたアルバム「HIDEKI SONG BOOK」を発売し、オフコースの曲では「眠れぬ夜」と「愛をとめないで」が収録されましたが、このうち「眠れぬ夜」については、1980年12月16日に西城さんの先行シングルカットとして発売されることになりました。「絶唱する男性アイドル歌手」のイメージが強かった西城さんの作品の中では異質な作品でありますが、西城さん側の制作サイドでも「眠れぬ夜」のシングル化については賛否両論が巻き起こったそうです。

そして、オフコース側もそれは同様でした。1980年11月、小田さんがコンサートで「西城秀樹くんが眠れぬ夜を歌うことになった」と言った途端、客席には非難の声が巻き起こったそうです。でも、小田さんは続けました。「でも、そういう皆さんの声も含めて、ぼくが決断をくだしました。出来上がったものを聞いたら、僕に遠慮してか、地味なものに出来上がってました。楽しみにしてください」と。オフコースのメンバーの中でも意見は別れました。大間さんと鈴木さんは否定的で、ぼくたちの歌を西城秀樹が歌って、イメージが壊れるんじゃないかと。これに対し松尾一彦さんは、それは視野が狭すぎて、歌がいったん生まれた以上、誰がどう歌ってもいいじゃないかと。作者の小田さんは承諾したものの、上の発言をみると多分に嫌味やアイロニーが醸し出されています。

ぼくは西城さんの「眠れぬ夜」から入りましたので、秀樹さんってこういう歌もサラッと爽やかに歌える人なんだと感心しました。今でこそ西城秀樹というシンガーの凄さを理解している方が増えていると思いますけど、芸能界や音楽番組の現場では「西城秀樹はどんな歌もこなせる歌唱力の持ち主」と知られていたのに、「絶唱する男性アイドル歌手」のイメージが先行してしまったことによる誤解の連鎖が、当時はあったと思います。編曲は船山基紀さんが作られましたけど、西城さん自身の歌い方も、オフコースの原曲を踏まえて、忠実に原型をイメージしようという姿勢は窺えます。そこはシャウトに逃げを求めない真摯なものであったと、今振り返っても思います。西城さんや制作サイドの人が、なぜ当時のオフコースの、それもブレイク前の「眠れぬ夜」に着目したのか、なぜ西城さんに歌わせようとしたのか、その真相はわかりませんけど、音楽好きの人が、売れなかった曲を探してきて、歌手に歌わせてヒット曲にするという手法は結構使われていました。今だって、同じように、埋もれている名曲を探し当てて、光を当てて欲しいと思います。

最近、動画がアップできないんですけど、オフコースの「眠れぬ夜」、西城秀樹さんの「眠れぬ夜」、是非聴き比べて頂きたいと思います。

恋におちて

カラオケのお店も5月7日以降、一部のチェーン店では、通常営業とは違う形式ですが、営業再開の動きが出てきました。つまり、一人カラオケであれば営業するということですが、この点についてはぼくがかねがね、このブログでも一人カラオケは共用部分の利用に注意をすれば安全に過ごすことができると言ってきたことです。カラオケ自体が悪いのではなく、接触感染や飛沫感染を避ける対策を講じればいいだけのことですし、カラオケ利用客の7〜8割程度がヒトカラーである状況を考えれば、現在臨時休業しているチェーンも追随して差し支えないと思います。

とはいえまだカラオケではなかなか歌えない現状、カラオケアプリで楽しむ機会は増えています。ただ、アプリで歌える曲はカラオケほど多くはないので、これまでぼくがカラオケで歌ってきた曲ってどんな曲があったかなあとか、歌ったことはないけど聴いたことあった曲あったかなあとか、すっかり忘れていた曲を頭の奥底から引っ張り出して、久しぶりとか初めてのもありますけど、歌って楽しんでいます。

多くのユーザーさんが歌っている曲は避けて、探してみた1曲がシドの「恋におちて」という曲でした。シドは2005年にインディーズデビューしてから今年で15周年、「恋におちて」は2008年にメジャーデビューしてから14枚目のシングルとして、2013年4月10日に発売されました。日本のロックバンドは歌謡曲の色彩を残した「歌謡ロック」が多いと思ってますけど、ぼくは「歌謡ロック」が好きなので、「恋におちて」を初めて聴いたときに「この曲歌いたい」とハマったものでした。彼の二番手の女性のモヤモヤした感情を、マオさんのボーカルがそれっぽく歌っているのが、歌の世界を作っているなあと思いました。

プロの歌手の方の動画を見ていると、歌っているときは主人公になりきって演じている曲面も多分にあって、思いきって見せた方が歌も伝わると思うんですよね。以前、カラオケ大会の審査員の先生が総評で、「皆さんの歌は上手いんですけど」と言った後、「でも、もっともっと遠慮しないでやっちゃったらいいのかなと思うんです」と言われたことがありました。最近、数多くの歌や演奏を聴いていたり、ぼく自身歌を何回も録り直ししたりする作業の中で、思い切って演じて歌ってみた方が、聴く方にとっては映えて伝わるのかなと感じたことがありました。ただし、確実に「やっちゃえる歌」にできるかは、微妙なニュアンスの違いが出たりで、なかなか当たるようにはならないんですが。

マオさんのことを探していたら、ご出身の地元の企業に出ているCMを発見しました。こういう素直に歌っているマオさんもぼくは好感が持てます。


シド SID 恋におちて


八ちゃん堂WEB限定CM マオさん歌う篇(2019)

太陽がまた輝くとき

今年のゴールデンウィークは、毎日他のユーザーさんの歌を聴いて過ごしています。特に、カラオケアプリのKARASTAには、今回の自粛をきっかけに、それまでKARASTAで活動していなかった全国の歌の上手い方が次々と初投稿し始めています。一度は生の歌声をお聴きしたいと思っていた方の歌を、現地へ行かずとも、KARASTAで聴けることになるとは思いませんでした。

それで、休日は時間がありますので、聴きたかった方の歌を何回も繰り返して聴いています。カラオケのようにマイクで大きな声で歌うのとは違い、カラオケアプリは自宅でスマホにイヤホンマイクを挿して歌うのが基本形ですので、歌声も小声になるとか、声を張れないとか、自宅や動画を撮影する場所の環境にも左右されることはあると思います。

ですから、カラオケとカラオケアプリではそもそも歌い方が違うのだと思います。再生回数やフォロワー数の多い歌い手さんの歌を聴くと、敢えてKARASTA向けの歌い方に徹しているのかなと感じた方もいました。一方、最近初投稿を始めた歌の上手い方は、カラオケでの歌い方を踏襲されているので、ぼくはそういう歌の方が聴きやすいと感じています。多くの方の歌を聴いている中で、上手い方の歌い方は、全体の緩急がしっかりとつけられているし、引き締まった歌になっていると思います。音程やメロディーの節回しはキチッと決めて歌っているという感じです。

KARASTAでも、ぼくが知らなかった曲に何曲も出会うことができて、これも楽しみの大きな1つです。その中でも印象の強い曲が何曲かあって、その1曲が高橋ひろさんの「太陽がまた輝くとき」という曲でした。この作品は1994年6月17日に高橋さんのシングルとして発売され、アニメ「幽☆遊☆白書」のエンディングテーマ曲となったこともあり、オリコンでも最高9位となる大ヒットになりました。高橋さんはバンド活動をしていましたが、財津和夫さんに声をかけられ、1987年から1989年までチューリップの第三期メンバーとしてボーカルとキーボードを担当しました。チューリップの解散後、1993年にソロデビューして、「アンバランスなKISSをして」や「太陽がまた輝くとき」などのヒット曲を出しましたが、2005年に病気のため41才で亡くなられました。

「太陽がまた輝くとき」を歌う高橋さんの動画を初めて拝見しました。誠実さが感じられるまっすぐな歌い方は時に優しく、時に繊細で、時に情熱のある、3分余りの時間の中で様々な表情を見せてくれる歌手の方で、良質の音楽を作るタイプの方だったのだろうとお見受けしました。

ぼくがKARASTAで聴いた歌い手さんは、ものすごく歌の上手い方で、高橋さんの歌い方とは異なるパワフルさのある歌い方でしたが、「太陽がまた輝くとき」という曲を愛されて歌っているように、初見のぼくにも感じられました。

阿久悠さんが遺された言葉の中で、「自分は死んでも、自分が作った歌をその後の人たちが歌ってくれれば、最後に残るのは歌だけだ」というものがあり、いい歌はこうやって歌い継がれていくのだということをまた認識しました。

 


太陽がまた輝くとき (カラオケ) 高橋ひろ

 

恋は匂へと散りぬるを

ぼくがDAM★ともでよく歌っているアーティストのKinKi Kids。ジャニーズのアーティストの曲は歌うことが多いんですけど、KinKi Kidsの曲の雰囲気やどことない明るくなさや哀愁さにシンパシーを感じることが多いので、よく知られていない曲でも歌っています。

その1曲「恋は匂へと散りぬるを」は、2013年10月23日に彼らの33枚目のシングルとして発売された「まだ涙にならない悲しみが」の両A面曲として発売されました。このシングルのテーマが「LOST LOVE」で、「まだ涙にならない悲しみが」は作曲の織田哲郎さんらしいメジャーなアップテンポの曲で、「恋は匂へと散りぬるを」はマイナーでダンサブルなアップテンポの曲で、好対照な2曲です。PVもぼくは2曲とも好きで、近年のKinKi Kidsの作品では2曲ともお気に入りな作品です。

「恋は匂へと散りぬるを」は、作詞、作曲、編曲を吉田建さんが提供されました。吉田建さんというと沢田研二さんのバックバンド「エキゾチックス」でベースをカッコ良く演奏されている印象や、「三宅裕司イカすバンド天国」で、出場するバンドに結構厳しいコメントをされていた印象があって、自分の音楽の持論がはっきりしてるなあと思っていました。

KinKi Kids吉田建さんの出会いは、吉田拓郎さんが1994年のNHK紅白歌合戦に出場したときに、吉田建さんがバックバンドを務められて、それがきっかけで、吉田建さんがKinKi Kidsの番組「LOVE LOVE愛してる」にベーシスト兼アレンジャーとして出演されたのがきっかけです。音楽の世界って人との出会いが、また新たな音楽を生み出しているのがいいなあと思います。2004年から吉田建さんは、KinKi Kidsのコンサートツアーのバンドマスターを務められていて、堂本剛さんも堂本光一さんも「KinKi Kidsの音楽の最大の理解者」として吉田建さんを信頼しているそうです。

久しぶりに「恋は匂へと散りぬるを」の歌詞を読んでいたら、「桜の花散るように 恋も散ってゆくのかな」という一節があって、これって今頃の時期に合っている歌なんだと改めて認識しました。KinKi Kidsの作品としては久々に剛さんも光一さんも踊っていて、哀愁さも儚さもあるけど、芯の強さもしっかり備えたメロディーになっていると感じました。Bメロからサビへの展開が鮮やかで、「恋は儚いわ」と歌った瞬間に、劇場で舞台が回転するようなものが感じられました。


恋は匂へと散りぬるを/KinKi Kids VOCALOID cover

ひだまりの詩

ぼくもカラオケアプリを始めて1週間。まだまだアプリの使われかたとか楽しみかたを探っているところです。

ぼくが始めたのはKARASTAとnanaの2つです。あくまでもぼくの感想ですけど、KARASTAは既に構築されている独特の雰囲気があるかなと思いました。それは再生回数に応じてだと思いますが、公式アーティスト、おすすめ、急上昇、新着、初投稿みたいな分類が明確にされているからかもしれません。KARASTAのスター歌手のような方がいらっしゃって、ぼくがカラオケ大会でご一緒した方も何人かいました。音源自体はJOYSOUNDの音源なので、普通に歌えますけど、公開している方の歌が、音量が大きくてリバーブかけすぎなのかなと思う投稿も結構多いように思いました。カラオケアプリはイヤホンマイクで歌うのが基本なんですが、ぼくもアプリを使い始めて、イヤホンマイクの音の調整がまだ安定していないのが悩ましいところです。投稿する前に音量の確認のために録音して聴いてみると、1回目は声が小さすぎて、それで返しをオンにして、音量を強めにすると、2回目は声が大きくなると音割れやハウリングを起こしたり、なかなか調整に手間取ってます。

もう1つのnanaは、音源もギターやピアノで演奏した方の伴奏の投稿があって、この伴奏に歌声を重ねるというスタイルです。時間も1分半以内と制約されていますので、原曲のカラオケとは勿論違いますし、伴奏する方もそれぞれ違いますから、アレンジも加えられているわけです。そういう仕組みだと知って、ぼくに歌えるのかなと心配しました。自分が伴奏のキーに合わせることが前提で、カラオケで日頃歌っている歌い方ではなくて、ギターやピアノの伴奏と自分の歌声をいかに調和させていくのもポイントなのかなと思いました。音量の調整が悩ましいのはKARASTAと同じですけど、歌った後に音量調整やエフェクト選択ができるのがまだやりやすいかなと思いました。

自分の歌い方を同じ曲で違えてみて、試そうかなと思ったので、2つのアプリで歌ってみたのが、Le Coupleの「ひだまりの詩」という曲でした。この作品は、1997年にフジテレビで放送された人気ドラマ「ひとつ屋根の下」の挿入歌として使われ、その後シングルとして発売し大ヒットし、Le  Coupleは同年のNHK紅白歌合戦に初出場しました。作詞は水野幸代さんというシンガーソングライターの方で、作曲は日向敏文さんで、ドラマの一時代を築いた「月9」でのサウンドトラックを数多く手掛けられた方です。Le Coupleは夫婦のユニットで、趣味のつもりで始めた音楽活動がきっかけでプロデビューした経緯があります。ボーカルの藤田恵美さんは子供の頃から劇団で活動されたり、演歌歌手として活動した時期もあり、芸歴は40年以上はある方だったと思います。

女性の原曲キーの歌を男性のぼくが歌うとなると、歌いやすいキーより4つ下げて歌いました。おかげで低音を出す練習ができて鍛えられますけど(笑)。ぼくが何でこの歌を歌おうかなと思ったのは、その日がうららかな陽気の午後で、ゆったりした歌を歌いたいなあと思っていて、この曲を思い出したからなんです。カラオケ好きでいろいろな歌を歌っては、またその歌を忘れていき、そしてまたあるとき、こういう歌があったと思いだして歌う、そういう繰り返しだと思っています。ぼくは歌う前に、歌詞を読み通すことをやっていて、どうしてこういう詞を書いたのかなとか、どうしてこういうメロディーを作ったのかなとか、少しは考えるようにしています。それで、オリジナルの作品を聴いている意識がガラッと変わることがありますし、何でこういう風に歌うのかなということが、おぼろげに見えてくることがあったりしますので。そういう上で歌ってみた歌の方が、聴く方にも伝わるんじゃないかなと思ってます。

 


【カラオケ】ひだまりの詩/Le Couple

LIAR

カラオケ屋さんは臨時休業中のいま、歌仲間の皆さんたちは次々とカラオケアプリデビューをしています。KARASTAというカラオケアプリでは、JOYSOUNDの音源に合わせて歌うことができます。歌える曲のレパートリーはアーティストによってはかなり少なくて、それでもお家でカラオケを楽しもうという人が増えています。

お家でカラオケの難点は、カラオケの部屋のように全力全開で大声で歌えないことです。ぼくも大声では歌えない環境なので、小声で歌える曲を選ぶようになります。

そして、原曲キーもカラオケで歌うときよりは4つか5つぐらい下げて歌うと、イヤホンマイクにも中低音がよく入っていく感じです。

もともとカラオケアプリはスマホにイヤホンマイクを挿入して、歌って楽しむのが基本の作りになっています。ぼくはタブレットでやろうとしましたから、これに合うイヤホンマイクを探すのに、いくつかの店を回って探しました。KARASTAではマイクを使って歌われているひともいらっしゃいます。

さて、キーの低い曲をとなると、おのずと女性シンガーの曲を選ぶようになり、中森明菜さんの曲も何曲も入ってますけど、初めて歌ってみるのにはいいかなと思いました。

その1曲に入っていたのが「LIAR」という曲でした。この作品は1989年4月25日に中森さんの23枚目のシングルとして発売されました。作詞は白峰美津子さん、作曲は和泉一弥さん、編曲は西平彰さんです。

この曲を聴くとどうしても、「LIAR」の発売後の数ヶ月後に起きた、中森さんの自殺未遂騒動のことが頭をよぎり、ぼくは中森さんの歌が好きだけれども、なかなかこの「LIAR」を聴こうとか歌おうという気にはなれませんでした。白峰さんの歌詞も読んでいると、まるで当時の近藤真彦さんとの交際状況を滲ませているんじゃないかと思わせるくらいなものがありました。作曲の和泉さんはある意味一番中森さんが苦しかった時期に、「LIAR」を提供し、中森さんが1990年7月に発売した次のシングル「Dear  Friend」では作曲と編曲を手掛けられました。編曲の西平さんは沢田研二さんのバックバンドであるエキゾチックスでキーボードを演奏していましたが、沢田さんの作品においては従来の歌謡曲テイストをロックテイストに変換していった功績を持っていらっしゃる方で、洗足学園音楽大学では講師を務められています。イントロのアレンジから「LIAR」の世界観が始まっていて、中森さんはこの当時は「声をケチっているのではないか」と言われるほどに小さく低い声で歌う箇所がありましたけど、その小さく低い音がしっかり当たっているのは、やはり歌の練習の賜物なんだろうなと思いました。

カラオケアプリはまだ上手く使えてませんけど、歌はどんな環境でも歌えないといけないとぼくは思ってまして、カラオケアプリならではの歌える曲もありそうな気がします。そういう曲を発掘していくのが当面の楽しみなのかなって思います。

 


LIAR (カラオケ) 中森明菜