DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

RIVERSIDE HOTEL

令和に入ってから、再び80年代や90年代のヒット曲を聴いていると、あれから何十年も経っているんですけど、作品に対して古臭さを感じないんですね。だから、最近歌ってみようと思うようになりました。そんな1曲が杉山清貴&オメガトライブの「RIVERSIDE HOTEL」という曲です。

この作品は1984年10月21日に彼らの4枚目のシングルとして発売されました。作詞は康珍化さん、作曲・編曲は林哲司さんです。杉山清貴&オメガトライブとしての活動期間は、1983年4月から1985年12月までの2年9ヶ月と意外に短く、シングルも発売したのは7枚でした。彼らはもともと「きゅうてぃぱんちょす」というアマチュアバンドで活動していましたが、デビューに当たって「プロによる提供楽曲の演奏を行う」という条件を受け、「杉山清貴&オメガトライブ」と改名しました。

そして、ぼくは今まで知らなかったんですが、オメガトライブとは杉山さん以外のバンドのメンバーだけを指していたのではなく、実は彼らの音楽プロジェクトの名前でした。つまり、音楽プロデューサーである藤田浩一さんの指揮のもと、林哲司さんの主導で音楽制作を行ったそうです。レコーディングはプロのスタジオミュージシャンが演奏したため、バンドのメンバーはその演奏をなぞっていたそうです。ビジュアルイメージは「海」や「夏」や「リゾート」だったそうです。すべてがお膳立てされているなかで、バンドのメンバーは「オメガトライブ」役を演じ続けなければならなかったわけですが、彼らが目指した「海」や「夏」や「リゾート」をイメージした音楽は一定の支持を得たと思います。ただ、当事者たちがその役を演じる使命感を続けることに疲れてしまったため、1985年の年末で解散することが満場一致で決まったそうです。

ぼくは、今までの歌謡曲にもニューミュージックにもない、都会的な洗練さを感じるメロディーって割と好きでした。ニューミュージックの中でも都会の様相を示していたのはハイ・ファイ・セットであったし、リゾートでのバカンスを表していたのは松任谷由実さんでした。そういった音楽を男性のバンドで表現していった先駆者が杉山清貴&オメガトライブであったと思います。

ぼくは彼らへの音楽のイメージって「夏」だけではないと思っていて、「RIVERSIDE HOTEL」の時期は「白い冬枯れのホテル」というとおり2月頃なんだと思いますし、杉山さんのボーカルは、夏の歌を歌うときは青い海を感じさせてくれるし、秋や冬の歌を歌うときは都会の街を感じさせてくれる、そんなふうに感じていました。この曲も別れ話を切り出す場面で、主人公の男女のやるせなさみたいな感情が歌詞には如実に出ているんですけど、そういった傷ついた心を、杉山さんが透明感のある声で歌うと洗い流してくれているようにも感じられました。


RIVERSIDE HOTEL [Live] 杉山清貴

ロビンソン

この間の日曜日の夜にテレビ朝日の「関ジャム」をふと見たら、出演者の方たちでスピッツの「ロビンソン」という曲のセッションをやっていました。聴き終わって、改めて名曲だなあと思いました。

「ロビンソン」は1995年4月5日にスピッツの11枚目のシングルとして発売されました。スピッツはロックバンドなんですが、1987年に結成した当初はパンク・ロックをやっていて、THE BLUE HEARTSの影響を強く受けていたそうです。ただ、ボーカルの草野マサムネさんは、ハンドマイクで暴れたり、観客を煽ったりするスタイルは自分に似合わないと思い始め、スコットランドのフォークロックのアーティストである、ドノヴァン・フィリップス・レイッチ(Donovan Philips Leitch)を意識して、アコースティック・ギターを持つようになり、現在のポップ・ロックのスタイルを確立していきました。そもそも「スピッツ」というバンド名は、ドイツ語の「spitz」に由来しており、「尖っている」とか「辛らつな」という意味を、草野さんが気に入ったそうです。どこか尖った音楽を標榜しているんだろうなと思います。

メジャーデビューしてからリリースした曲がチャートインせず、プロデューサーに笹路正徳さんを迎え、7枚目のシングル「君が思い出になる前に」が初めてチャートインしました。笹路さんは、草野さんの作詞は文学的だと評価し、それまで草野さん自身がいいと思っていなかった高音の声をもっと主張するように、プロデュースをしていきました。自分の声の魅力って、自分ではわからないところがありますし、まして高音は好きじゃないと思っていたら、なかなかその魅力には自身では気づかないですね。他人の目から見てもらって、自分の魅力を見つけるのも大事だと思います。

さて、「ロビンソン」について、草野さんは当初、この曲の音楽性がポップすぎると思っていたため、シングル化には乗り気ではなかったそうです。そして、「ロビンソン」はスピッツのいつもの「地味な曲」の1つであるという考えを周囲に示していて、テレビ番組のテーマ曲として1ヶ月オンエアされたことを除けば、さしたるプロモーション活動はしなかったそうです。製作サイドもそんなに売れないだろうと予想していたのに、発売直後のオリコンに9位で初登場し、オリコン最高4位ながらも、3か月間10位以内をキープし、その後も36週チャートインしたため、年間9位のセールスとなり、160万枚を超える大ヒットとなったのです。草野さんは「ロビンソン」が売れた理由については、その後の回顧録でも「答えはわからない」と話していますが、「自分が作った地味な曲に、三輪テツヤさんがアルペジオのイントロを入れてくれて、あれがなければそんなに売れなかったと思う」とも話しています。

ぼくが初めて「ロビンソン」を聴いたとき、このイントロが幻想的で歌の世界に導いてくれるような雰囲気を感じさせてくれました。そして、今までのバンドにはなかったというか、フィクションな空想の世界を演奏できっちりと表現してくれて、そこに草野さんのボーカルが歌詞とメロディーを調和させているように思えます。「誰も触れない二人だけの国」が手に届くところにあるような気がして、「大きな力で 空に浮かべたら ルララ宇宙の風に乗る」みたいに、自由にどこでも飛んでいけるような開放感を感じました。スピッツの音楽って聴いていると、日差しが差し込むようなキラキラ感を感じるんです。そしてそこに主人公たちの息遣いを感じます。日常を歌っているのだけれど、そこから生まれる愛の深さは宇宙のように無限に広がるみたいな、そんなユートピアに、多くの共感が得られたのだと思います。

草野さんも「俺は歌上手いんだぞ」みたいな歌い方はしていません。でもまっすぐに歌を伝える姿勢が貫かれていて、そういうところはロックだなあと思います。


スピッツ / ロビンソン


Spitz - Robinson

通りすぎた風

先日、カラオケ大会の審査員をされた方のブログを読んでいて、ご自身が大切にしたポイントとか、出場者の歌についての感想をわかりやすく書いていました。その中で、「フレージングに関してのみ言えば、ぶっちゃけ、濃すぎる方が多かったように思います。」と、「ワンコーラスでお腹いっぱい!という方は申し訳ないですが今回は高得点をつけることができませんでした。」という感想がぼくの目を引きました。審査員の方が大切にした部分は「もうちょっと聞きたいかどうか」だったそうです。プロの歌手で、濃すぎなくて、もうちょっと聞きたいような歌手の方は多いと思いますが、ぼくが思い起こしたのは高田みづえさんでした。そして、彼女の曲を何曲かYouTubeで聴いているなかで、初めてしっかりと聴いてみたのが「通りすぎた風」という曲でした。

この作品は高田さんの19枚目のシングルとして1983年2月1日に発売されました。作詞は横須賀恵さん。山口百恵さんが引退後に作詞をしたときのペンネームです。作曲は谷村新司さん、編曲は若草恵さんです。原曲は1978年に百恵さんの番組で初めて披露され、1980年には音楽番組「ミュージックフェア」でも百恵さんと谷村さんがデュエットで披露しました。百恵さんでのレコード化はされず、後輩の歌手として親しかった高田さんの作品となりました。話題性が高かった割には大してヒットしなかったんですけど、改めてこの曲を聴くと、歌詞には「山口百恵」のクールさが漂っていますし、メロディーには谷村さんらしい曲のまとめ方というものを感じます。そして、この曲って歌いこなすのが難しい曲なんですけど、それを歌っている高田みづえさんの歌唱力を感じる作品だと思いました。

ぼくがプロの歌手の歌を聴いている中で、「歌が上手いんだぞ」って主張する歌い方ではないけど、実はかなりの歌唱力を持っている歌手だと思い起こしたのは、男性では新沼謙治さん、女性では高田みづえさんでした。お2人とも、難しい歌でもサラリと歌ってしまうように聞こえてしまうんですけど、それができるには相当なテクニックや表現力を持っていないとだめなんですね。

また、山口百恵さんが1980年に引退して、アイドル歌手としての後継は1980年にデビューした松田聖子さんがバトンを受け、山口百恵さんの「阿木 燿子・宇崎竜童作品」的エッセンスを継承したのが中森明菜さんであるとすれば、それ以外の百恵さんの作品のエッセンスを継承したのは、ぼくは高田みづえさんであったと思っています。

濃すぎず、小品の小説のように、深く静かに心に刻まれるような歌は、どこか凛としたものを感じます。そして、歌を聴いて、自分の思い出も俯瞰するようなカタチでその歌に共感するものがあるなあと思います。

「通りすぎた心は美しい 通りすぎた心は優しい 通りすぎた風はもうもどらない」というサビの歌詞がありますけど、ぼくがDAM★ともで歌っている歌も、次々と歌っては、次々と消して、もう100曲は軽く歌ったけど、通り過ぎて消えていってます。でも、ぼくの記憶の中には録音したときのいろいろな思い出が残っていて、歌に向かっているときのいくつもの自分の表情を思い出しています。例えば、昔の自分はピュアだったなあとか。もうちょっと聞きたいと思ってもらえる歌ってどんな歌なのかはわからないんですけど、自分が歌った曲を聴いて、聴いてくださる方がその曲を通じてご自身に返って頂けるような、そういう歌が歌えたらいいなと思います。


高田みづえ 通りすぎた風(フルバージョン)

ミセス マーメイド

9月はカラオケ大会に2回出たり、DAM★ともではお2人のユーザーさんとそれぞれコラボ録音をしたり、今週は歌うまさんたちのオフ会にもドタ参加させて頂いたり、ぼくにとっては歌活動も忙しい1ヶ月でした。仕事もひと段落したところでツイキャスを聴いていたら、チェッカーズの「ジュリアに傷心」を歌っているのが聞こえてきました。そういえば最近、チェッカーズの曲を歌ってなかったなあと思って、この時期に合う曲かなと思い出したのが「ミセス マーメイド」という曲でした。

この作品は1991年9月4日にチェッカーズの26枚目のシングルとして発売されました。作詞は藤井郁弥藤井フミヤ)さん、作曲は鶴久政治さんです。チェッカーズは1983年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューしてから、1992年12月31日のNHK紅白歌合戦出場を最後に解散するまで活躍したポップス系のバンドでした。同時に、当時は1980年代前半に盛り上がったアイドルたちの人気が徐々に落ちていくなかで、チェッカーズはアイドルとしても人気を維持し続けた、日本の歌謡史の中でも珍しいバンドであったと思います。

チェッカーズの作品も、1986年までの「初期」のチェックのファッションに身を包んだアイドル的プロデュースから、1989年頃までのチェッカーズのセルフプロデュースを確立した「中期」を経て、1990年~1992年の「後期」を迎えますが、ぼくは「後期」の作品でも「夜明けのブレス」や「さよならをもう一度」は好きな作品で、「ミセス マーメイド」は大好きな作品でした。ファンキーなサウンドが小気味良くて、歌詞はすごくせつなくて、歌っている郁弥さんの立ち姿がかっこよかったのを覚えています。「ミセス マーメイド」はその年のNHK紅白歌合戦でも歌唱されましたが、紅白の中でも一番印象に残ったパフォーマンスでした。

当時はカラオケでこの曲を何回も歌ったと思います。チェッカーズの曲を歌っていると、どうしても郁弥さんっぽくなってしまいます。「ミセス マーメイド」のサビのところの「恋しくて せつなくて 君に会いに来たよ」も、ついつい、「こ~い~しっくう~ってえええええ」とか、「きんみーに あーいーにっきいたあ~よおおおおおお」みたいに、ひたすら語尾を強めにビブラートをかけてしまう、そんな男子が多かったと思います。発売から18年が経ちましたが、夏から秋にかけての季節に合いそうな、今でもかっこいい1曲だと思います。


ミセスマーメイド THE CHECKERS 

to Heart

ぼくがDAM★ともでよく歌ってきたのがKinKi Kidsの曲です。ジャニーズのタレントの曲はたくさんありますけど、音楽的にジャニーズ的アイドルサウンドとは一線を画しているのが、SMAPKinKi Kidsだと感じています。Kinki の曲はソロで歌っても歌いやすいところがあり、でも簡単ではないというのが、カラオケで歌いがいがあるところです。もちろん、2人でのコラボもしやすくて、DAM★ともで長年お互いの曲を聴きあっているユーザーさんがKinKi好きということもあって、その方とは何曲もコラボ録音させて頂きました。

KinKiの曲はアップテンポの作品も多いですけど、バラードの名曲も数多くあります。彼らのデビュー20周年を記念して、2017年1月7日に「Ballad Selection」というバラードだけを集めたベスト・アルバムを発売しました。その中に収録されている1曲が「to Heart」という曲です。

この作品は1999年10月6日に発売された彼らの8枚目のシングル「雨のMelody」の両A面シングルとして発売されました。堂本剛さんが主演したドラマ「to Heart ~恋して死にたい~」の主題歌にもなりました。作詞は久保田洋司さんとE.komatsuさんの共作、作曲は宮崎歩さん、編曲はCHOKKAKUさんです。久保田さんはトラジ・ハイジの「ファンタスティポ」を作った方です。E.komatsuさんはドラマの脚本を手掛けた小松江里子さんですが、脚本家の方が作詞を手掛けるというのはたまに見かけます。宮崎さんは存じ上げなかったんですが、デジモンシリーズの楽曲を中心に活動されている歌手の方で、ジャニーズのタレントへの作品提供も数多くされています。

ぼくもKinKiの曲はアルバム曲も含めて多く歌ってきたつもりでいたんですけど、「to Heart」は今まで歌ったことがなくて、曲を聴いて、こういう曲あったなあと思い出したところです。KinKiの曲は剛さんと光一さんの声質とか、作品の傾向から見ると、どこか哀愁を帯びていて、ちょっとカーブを混ぜたような感じの印象が強いんですけど、「to Heart」は直球ストレートな感じで、「君」へのまっすぐな愛を伝える作品です。

「ケータイでつないだ運命 広い宇宙(そら)の片隅で どんな遠く離れていても 届くはずさ my Heart」が当時の時代を映しています。今ならスマホやLINEなんでしょうけど、固定電話の時代から、携帯電話が普及するようになって、人々の交流も大きく変わったと思いますし、「君」とのつながっている感みたいなものが強くなったように思います。

曲の最後にある「せつなさのすべてをかけて 僕は信じる Heartは届くと」という歌詞がいいなと思いました。歌も演奏もそうなんですけど、客席にいる全員のためではなくて、誰かのために歌ったり演奏している感じの方が、感情や表現が強く出るらしいです。ぼくも歌っているときは、聴いてくださっている方の中でも、じっと聴いてくださっている方や音楽に乗ってくださっている方がいるとすごく嬉しいんですけど、自分の歌にせつなさがあると、もっといいのかなと思ったりします。人に思いを伝えるには、ある程度の熱量は必要ですね。

本人の動画はありませんので、「to Heart」を歌われている方の動画を見て、練習しようと思います。(ぼくではありません)


Kinki kids to heart [カラオケ]

代表選考会

人間はある意味精密機械のようでもあるので、歌もその日によって調子が良い日もあれば、調子が悪いわけではないんですけど、何だかすっきりしない日もあったりします。

ぼくの歌の調子は、7月~8月は、練習していた曲が精密採点で97点台や98点台が取れるようになり、点数抜きに歌そのものを聴いてみても、別に何か下手になっているところはないと思うのに、音源審査を出してみても、思わしくない結果が続きました。

自分で考えてもいいアイデアが浮かばないので、他のカラオケ大会に出てみようと思い、昨年も応募した日本カラオケボックス大賞のことを思い出しました。8月の初めにTwitterで情報を見つけて、東京カラオケボックス防犯協力会にエントリー用紙を送って頂き、自分が「これでいい」と思った音源を入れたCDを送りました。東京地区代表選考会定員の10名に選ばれるつもりは全くなくて、今の自分の実力が知りたかっただけでした。

9月の初めに東京地区代表選考会出場の書類が届いたときは、出場できることも嬉しかったんですけど、自分が練習してきたことは別に間違ってはいなかったんだというか、もやもやしていた気持ちが晴れたのが心の底から嬉しかったです。そして今日は、東京地区代表選考会に行ってきました。

昨年もこの選考会に出て、その時は10名でしたが、今日はぼくも含め19名の方が出場されました。昨年同様、超歌うまさんとして有名な方が何人もいらっしゃいました。会場も去年と同じでしたが、出場者や関係者が前年の倍の人数でしたので、やや圧迫感があり、歌うステージはあったんですけど、すぐそばに何人も座って見ている中で歌うというのは、ホールで歌うときとは別の緊張感がありました。

昨年は未成年の出場者が多かったですけど、今年は年齢層も幅広く、歌う曲目も演歌、ポップス、ロックと幅広くて、それぞれのジャンルでも傾向の違う曲が歌われましたし、歌う方のレベルもやはり非常に高かったので、聴いているぼくとしては歌のいろいろなバリエーションを楽しめる時間を過ごすことができました。

ぼくは今日は、あさみちゆきさんの「聖橋で」という曲を歌いました。もし東京都の代表に選ばれるのであれば、東京の歌を歌って選ばれたいという思いがありました。大会の出場者の面々を見れば、ぼくが東京都代表に選ばれる確率はほぼ0%ではあるんですけど、そんな妄想を描いていました。

審査結果は「非常に難航した」そうですが、1位から3位までが全員女性の出場者の方でした。男性の出場者の方も「すごくいい歌だなあ」と思った方が何人もいらっしゃったので、ちょっと意外な感じもしました。今日の大会を振り返って、入賞した方の歌には何が良かったのかなと考えていたんですが、敢えてというなら、その楽曲の表現がしっかりと確立されていて、それが聴いている側にも他の出場者よりも強く伝わった印象を受けた、というところなのかなあと思います。本当に僅差であったと感じています。

大会の帰り道は、ぼくのルーティンの反省会カラオケ。超歌うまな方のようなものすごい声は出せませんけど、歌う曲の歌詞やメロディーやトータルの世界といったところをもっともっと、聴いてくださる方に強く伝えられるよう、ぼくも歌をもっと練習しなきゃと改めて感じた1日でした。乗り越えるハードルはまだまだ続きます。

アシタヘカエル

ぼくがDAM★ともでお気に入りにしているアーティストのCHEMISTRY。彼らが2001年に「PIECES OF A DREAM」でデビューして大ヒットしたとき、カラオケでも歌おうとしたけれど、どういうふうに歌ったらいいのか、最初はよくわかりませんでした。でもこの当時、平井堅さんがブレイクし、EXILEがデビューするなかで、日本のR&B的サウンドのヒット曲が何曲も登場するようになって、聴く耳も慣れてきて、彼らの曲を歌えるようになったような気がします。

初期のCHEMISTRYの作品は松尾潔さんがプロデュースされていたこともあって、R&Bテイストの濃い作品が続きました。これらの作品を歌っていた堂珍さんと川畑さんも結構必死な感じで歌ってましたけど、素人が歌うとなるともっと必死で、メロディーを追いかけて、慣れぬフェイクも真似てみてという感じでトライしてました。

そのうち、CHEMISTRYの作品の中にも、肩に力を入れなくても歌えそうな作品が出てくるようになりました。ぼくのなかでは「ホッとするCHEMISTRY」というカテゴリーを作ってますが、その1曲が「アシタヘカエル」という曲です。

この作品は2003年8月6日に彼らの8枚目のシングルとして発売されました。作詞は麻生哲朗さん、作曲はハマモトヒロユキさん、編曲は河野伸さんです。この作品から松尾さんのプロデュースを離れて、セルフプロデュースを開始することになりました。とはいっても、麻生さんは「PIECES OF A DREAM」の作詞を提供していて松尾さんとの作業もされてきたので、ハマモトさんも松尾さんがプロデュースしていたKさんの作品を提供していますし、それほど大きく変わった印象はありませんでした。編曲の河野さんは幅広いアーティストへの作品提供をされていますけど、後年川畑さんがソロ活動のときのカバーアルバム「ON THE WAY HOME」の中の「やさしいキスをして」や「三日月」等のアレンジをされています。それと劇伴のオリジナル・サウンドトラックの作品も多数手掛けられていて、最近ではドラマ「おっさんずラブ」も担当されました。

さて、「アシタヘカエル」のMVでは、子供が都心の町中から家に歩いて帰るシーンを描いてますけど、「アシタへ歩きながら帰ろう」っていう息遣いが感じられます。「こうしていけば いつかはちゃんと部屋に辿り着いているんだろうなあ…」っていう歌詞には、「歩いて答えを見つけていこう」という姿勢が感じられて、それはセルフプロデュースを始めたCHEMISTRYへのメッセージだったのかもしれません。「隠れていた灯りが 向こうでいま輝いたように ずっとボクが 歩けば景色だって変わってく」っていうのも好きな歌詞で、何か動いていればある時新しいことへの気づきがあって、それで人は何かを掴んで、また新しい一歩を踏み出せる、そんな気がするんです。ぼくはCHEMISTRYの作品には、日常の生活の中の悩みや葛藤といった思いを歌にしているものが多いと思っていて、それは堂珍さんや川畑さんの等身大の姿を描いていたのかもしれませんけど、聴く者にとっては共感することが多いなあと思っています。

この作品をソロで歌うときも、何か歌に技巧をつけて歌うというよりは、飾らず素直に歌った方が良さそうなんですが、同時に歌唱力が問われてしまう曲でもあって、音程や音符を正しく歌えるのが前提になりそうな気がします。それでいて、曲が奏でる優しい雰囲気も醸し出すと、ぼくが「ホッとする」と感じる歌になるんだろうなと思います。


【カラオケ】アシタヘカエル/CHEMISTRY