DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

Only Human

ジェネステ2018DAY-2東京第二会場大会関連の話題を続けます。出場された方の歌を聴いて感動した曲が何曲もありました。大会の入賞枠は5位までしかないんですけど、ぼく的には「入賞と同じじゃん!」と思う方が何人もいらっしゃいました。会場内に歌の世界観を漂わせたという意味で、ぼくが一番ジーンと来たのは、Kさんの「Only Human」という曲を歌われた男性の方の歌でした。

Kさんは2004年に韓国で歌手としてデビューしますが、ピアノの弾き語りができるアーティストを探していた日本のスタッフにスカウトされ、2005年3月2日にシングル「Over…」で日本でもデビューしました。「Only Human」は、4枚目のシングルとして発売されましたが、フジテレビ系ドラマ「1リットルの涙」の主題歌に起用されたこともあり、シングルチャート10位以内に7週ランクインする大ヒットとなりました。

ぼくは何となくこの曲は知ってましたけど、じっくり聴いたことは今までありませんでした。ジェネステの東京第二会場大会の終了後、歌った内容についてジェネステの社長さんがお話して頂ける時間があって、質問がある人が並んでいました。ぼくの2つ前に並んでいた方が「Only Human」を歌った方だったんですが、社長さんが「やはりここの部分の声の出し方なんですよね」といきなりマイクで歌った箇所が、「流れに逆らう舟のように」というファルセットで高音を歌うところだったんです。社長さんがあまりに繰り返して歌うので、周りでも同じように「ふねのように~」とやり始めてしまいました。

ぼくもその後で高音のファルセットの部分を指導されたこともあって、翌日は反省会ということで一人カラオケで、ファルセットを使う曲で練習して、「Only Human」も初めて歌ってみました。作詞が小山内舞さん(=松尾潔さんの作詞上の名義)、作曲が松尾潔さんと田中直さんの共作というテロップを見て、松尾さんの音楽の世界の歌なんだなと思いました。歌ってみたら、ぼくにとってはキーが高い曲でしたけど、ファルセットの練習をするのには適していて、先ほどの「流れに逆らう舟のように」のところも上手く出すことができました。点数がいきなり96点台が出たので、これはひょっとして相性がいい曲なのかもと思い、DAM★ともの公開申請に出してしまいました。でも、地声から裏声への切り替えは上手くできなくて、新たな課題を見つけた感じがします。

一人カラオケで選曲をしていると、どうしても自分が好きな曲とか、好きなアーティストの曲とかに絞られがちなんですけど、他の方の歌を聴いて、自分も歌って試してみると、意外とそこに自分の新たな引き出しを作ってくれる可能性が出てくるかもしれません。ということで、「Only Human」はもっと練習してみたいと思います。


K & ビューティーこくぶ - Only Human

ジェネステ2018 DAY-2 東京第二会場大会

2月24日、ぼくはジェネステ(NEW GENERATION LIVE STAGE)というカラオケ大会のDAY-2(地方予選)東京第二会場大会に行って、歌ってきました。

前にこのブログでも書きましたが、ぼくは2月2日にも、ジェネステ2018 DAY-1 東京第一会場大会に行って、歌ってきました。

ジェネステではDAY-1(音源審査)に合格すると、DAY-2(地方予選)では毎回のエントリー手続きを行って、エントリー料を支払えば、全国で開催するすべての会場へのエントリーが可能なシステムとなっています。このシステムを活用して、地元ではない会場へ参加される方もいらっしゃいまして、東京第一会場の時も長崎の方が参加をされましたし、東京第一会場でご一緒した方が、2回目のエントリーで大阪第一会場や札幌会場に参加をされました。

ぼくは、自分のスケジュールもあって、2月2日の東京第一会場の1回だけエントリーのつもりでした。2月8日に東京第一会場でのぼくの歌について、ジェネステから「審査寸評」のメールが届きました。「寸評」どころか、ぼくの歌について6人の審査員の皆さんが聴いてくださった結果として、色々な指摘を頂きましたが、メールを読んで気になったのが、「現地入りしておりました社長からはすべての審査終了後にこの部分の歌唱改善の方法をマイクコントロール、発声の2観点からご提案させていただきたかったというコメントがございます。」と、「もし今後どちらかのDAY-2会場にご参加の場合には是非お声がけ下さいませ。」の2点でした。

ジェネステの社長さんがぼくに会って話したいことがあるって何だろう?それならば、エントリーしようかと思い直し、2月24日の東京第二にエントリーしました。ただ、ぼくはこの日はどうしても午前中は先約が入っていたので、歌唱時間を午後にして頂くしかありませんでした。事務局の方にその旨をお話したところ、ご了解を頂くことができて「後ろから何番目かにしますよ」というお話でした。

2月22日の夜に歌唱順が発表されましたが、ぼくの歌唱順は最終グループとなり、歌唱者45組中終わりから4番目の42番目。最終グループは5人ですが、他の4人は多くのカラオケ大会で優勝や入賞の経験がある「超歌うまさん」でした。ぼくだけ「ただの歌い手」なので、歌唱順を見た瞬間の感想は、「これって、何の罰ゲームなのかな?」でした。過去4回の歌唱順は前半が1回、中盤が3回だったので、最終グループというのは初めてでした。気分としては、NHK紅白歌合戦で23時25分頃に歌う歌手の気持ちでした。ぼくはそんな時間に歌える実力者ではありませんし、終盤に盛り上がってくるDAY-2の雰囲気をぶち壊しはしないかという不安が先に立ちました。でも悩んでいても仕方がないので、前日はビッグエコーに行って猛練習しました。

さて、開催当日。ぼくは13時頃に会場入りしましたが、その時に聴こえたのが、Kさんの「Only Human」を歌う素敵な男性の歌声でした。この方もこの曲でカラオケ大会では入賞されている「超歌うまさん」でした。他にも、音楽活動をされている方も多く参加されていて、舞台も場慣れしていらっしゃるし、オーラがプロっぽいんです。勿論、歌も表現力があったりで上手いです。

今回の東京第二会場の出場45組がフルコーラスで歌うので、朝10時から始まっても、休憩を入れたりしながら、最後の歌唱者が歌い終わるのは19時頃。ぼくも自分が歌う順番まで、待ちました。今回は新宿のLiveHouse FNVでしたが、立ち見の方も割といて、身動きがしにくい状況でしたが、ライブハウスの丸椅子も長いこと座っているとお尻が痛くなってきます。気分転換も兼ねて会場の外に出て、近くの喫茶店でぼおっとしてたり、ライブハウスのあるビルの路地裏で発声練習したりしてました。

18:30ぐらいに自分の順番が来ました。東京第一の時と同じく、林部智史さんの「恋衣」という曲を歌いました。審査員の先生たちから課題として出された、ファルセットの出し方や、ファルセットから地声への転換って、ぼくには本当に難しくて、寸評を頂いた後から何回も練習しましたけど、練習で上手くいくときもあれば、1音目か2音目の音程がぶれてしまったり、本当にまちまちでした。

また、東京第一のときの全体講評の中で「聴いていただく姿勢」や「歌を伝える姿勢」として、身振りや手振りを加えるというお話がありましたが、林部さんが歌を歌うときに「腰から上に、手の振りを効果的に入れる」というお話をされていたのを見て、今回の歌では、手振りも入れて歌うことができました。

歌う前のMCでは、「DAM★ともを10年ぐらい続けていることと、一人カラオケをやっていたが、カラオケ大会に出るようになったこと、林部さんみたいに上手くは歌えないが頑張ります」という話をしたんですが、本当に頭の中にあったのは、DAY-2の、この盛り上がっている終盤の雰囲気を壊してはならない、頑張って歌わないといけない、という気持ちだけでした。歌っていると、ライトを上手に当てて頂いたり、スモークを出して頂いたりというのは気持ちが良かったですが、やはり音響が良かったというのは、歌っていても満足ができました。ジェネステのPAをして頂きました成田さん、ありがとうございました。

歌い終わった壇上のぼくに、司会のこまちこさんが、「DAM★ともをやっている人はこの中にも多いと思いますから、よろしくお願いします」とフォローを入れてくださったのも嬉しかったです。もともと、ぼくがこのブログを始めようと思ったきっかけは、「DAM★ともの再生回数を増やしたいけど、DAM★ともにはコミュニケーションツールがないので、ブログを書いて再生回数を増やそうかな」という思惑もありました。結果として、ブログの読者さんと、DAM★ともで歌を聴いて頂ける皆さんとは、相関性は特になかったですが。

また、壇上のぼくに社長さんが「大会が全部終わったら後で来てください」と言われましたので、大会終了後に行ってみたら、サビの部分のところを実地で指導してくださいました。ぼくはマイクを離して歌うんですが、「ファルセットのときはもっとマイクを親指1本ほどに近づけて」ということと、裏声から地声の切り換えは「鼻歌を意識して」ということを言われました。「ちょっとやってみて」と言われたんですが、もう歌う気力もなかったので、声がヘロヘロになってしまいました。実はこの「鼻歌」っていうのは、ぼくが千葉テレビの「カラオケトライアル」を見ていたときに、徳久先生が出場者の方に指導していたことでもあったので、そのことも思い出していました。

こういう感じで、DAY-2では大会終了後に、自分の歌がどうだったのかについて、社長さんが自ら指導してくれる時間があるんですね。閉会したらすぐ帰るぼくは知らなかったんですが、他の方への指導についても、周りの人も一緒になって練習して頂けるのがちょっと面白かったです。ぼくの時も、周りで「恋をして~」とか「すがおのあなた~」とか一緒にやって頂けました。

また、前回の東京第一の記事でも書いた採点チャレンジは、今回も大盛り上がりで、時間の関係でチャレンジできない方が数名出ました。ぼくは、大会での本番が終わった後に、松原健之さんの「歌の旅びと」を歌いました。96点台だったのでほっとしました。

長丁場で歌の上手い方の歌を何十曲も聴いて、食べ物を食べてなくても、お腹いっぱいになりました。DAY-2の入賞は5位までですが、ぼくが非常に歌が上手いと思った方が何人も入賞から漏れていました。まずはその入賞候補に入らないとですね。

聖橋で

新しい企画のカラオケ大会が全国で次々と開催されていますが、2月11日に兵庫県洲本市で開催された「第1回阿久悠杯歌謡祭2019」もそのような大会の1つです。

阿久さんは、兵庫県警巡査であった父親の仕事の関係で、兵庫県津名郡鮎原村(現在の洲本市五色町鮎原)、ざっくりいうと淡路島で、幼少期から高校生までの時期を過ごしました。このカラオケ大会を主催した阿久悠を歌い繋げるプロジェクトin SUMOTO」は、「同郷の大先輩が残した偉大な功績を、阿久さんが育ったこの地で讃えたい」という思いで企画を立てられたそうです。参加者を応募したところ、全国から850名の応募があり、予選を通過した119組が当日の大会に出場しました。

歌う曲は阿久悠さんが作詞した作品に限るということで、阿久さんのヒット曲が出場者によって次々と披露されました。グランプリに選ばれた方が歌われた曲が、あさみちゆきさんの「聖橋で」という曲でした。

ご存知の方もいるでしょうが、「聖橋で」は阿久さんの生前の遺作になります。あさみちゆきさんは、「あさみ」が苗字で、「ちゆき」が名前の女性歌手で、デビュー前の2001年頃から井の頭公園でのストリートライブを始めたことから、「井の頭公園の歌姫」として話題になりました。古きよき昭和の香りがする歌をテーマに歌ってきた活動に、阿久さんも注目したのだと思います。2007年2月1日に発売されたあさみさんの3枚目のアルバム「あさみのうたⅢ-青春のたまり場-」は全11曲が阿久さんの書き下ろしによるもので、「聖橋で」はその1曲として収録されました。その後、2007年8月22日に「聖橋で」は6枚目のシングルとして発売されました。

阿久さんは洲本高校を卒業し、明治大学に入学しますが、聖橋(ひじりばし)は明治大学駿河台キャンパスの最寄り駅であるJR御茶ノ水駅の横を流れる神田川に架かっているアーチ橋です。

初めての東京で学生時代を過ごした阿久さんにとっては、駿河台界隈は多くの思い入れがあるんだと思います。阿久さんは1983年には狩人にも、同じ「聖橋で」という題の作詞を提供しています。あさみさんの「聖橋で」の歌詞は、売れない小説家の彼を、主人公の女性が、頑張って欲しいという願いから鬼の心になって、彼を見捨てて出て行き、二年二ヶ月二日目に、聖橋で逢いましょうという内容で、かつて小説家になることを夢見ていた阿久さんの自伝的内容とも言われています。現在、明治大学アカデミーコモン地階には阿久悠記念館が開設されています。

さて、ぼくが阿久さんの作品を歌うとしたら、どの作品を歌おうか。沢田研二さんの「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「LOVE(抱きしめたい)」とか、西城秀樹さんの「若き獅子たち」「ブーメランストリート」「ブルースカイブルー」あたりかな。


あさみちゆき 聖橋で~シングルバージョン~ 演歌百撰

スワンソング

2月11日にNHKFMで「今日は一日”松本隆ソング”三昧」という番組が、12時15分から21時15分までの9時間にわたって放送されました。ぼくはまったく聴けなかったんですが、Twitterのトレンドで「松本隆三昧」というワードが上昇してました。ラジオ番組でトレンド入りするのも最近では珍しいと思います。

ぼくにとって、DAM★ともで歌っている松本さんの作品というと、KinKi Kidsの作品が多いです。その中でも好きな作品が「スワンソング」という曲です。発売直後にこの曲を聴いて「今度の新曲、すごくいいじゃん」と思い、DAM★ともでも何十回も歌った思い出があります。

この作品は2009年10月28日にKinKi Kidsの29枚目のシングルとして発売されました。作詞は松本隆さん、作曲は瀬川浩平さん、編曲はha-jさんです。この作品は曲が先に作られたところで、「この曲に命を吹き込んでもらいたい」と、光一さんと剛さんの2人から松本さんに直接作詞を依頼しました。

松本さんはデビュー曲「硝子の少年」の作詞を提供したということで、KinKi Kidsの「生みの親」になったわけですが、同時にこの曲がミリオンセラーになったこともあり、その後のKinKi Kidsの歌の世界観に影響を与え続けているとも思います。

松本さんの光一さんと剛さんへの思いも、ある意味変わっていなくて、「繊細で壊れやすい面もあるけど、苦境を乗り越える強さも持っている、そういう相反する美しさを持っている2人を表現したい」というところで、提供する作品についても、リリース時の歌だけに注目せず、歌手として歌い続けて、「10年経ったらどんな歌になるのか楽しみ」という目で見ているのが印象に残りました。

スワンソング」(swan song)は、「白鳥は生涯鳴かないが、死ぬ間際に美しい歌を歌う」というヨーロッパの伝承があって、転じて、人生最後に披露する舞台や演奏や戦い、あるいは人生の最後に事を成し遂げることを意味しています。松本さんは、ロシアのバレリーナであったアンナ・パヴロワがバレエで踊った「瀕死の白鳥」の演技を思い出し、全身で表現された死にゆく白鳥の美しさを歌詞に込めたそうです。当時の光一さんと剛さんは30才になり、ご本人たちも「アイドルという気持ちは既になかった」そうですが、30代としての新たなステージを進む思いはあったと思います。松本さんは「スワンソング」で「もっとも美しいものをやってみたかった」と語られていましたが、それは、青春の壊れやすさも、別れても生きていく強さも、美しく表現できるテーマだったのかなと思います。

スワンソング」の歌詞の世界は、遠距離恋愛が続けられなくなった2人が別れることを決めて、彼女は手を振ってくれたけど、ぼくは青空に目を伏せて船に乗り込むシチュエーションです。2番の歌詞にある「聞いて私たち 生きてる重みは 自分で背負うの 手伝いはいらない」は、前を見据えての決意だと思いますし、1番のサビにある「桟橋の端に立ち 手を振っていたけど 潮騒の中 無声映画のように ひざを折って泣いた」のは、やっぱり別れるのは辛かった気持ちが上手く表現されているなあと、カラオケで画面を見て歌っていては、常にひっかかるこの2箇所です。それにしてもこの「スワンソング」の歌に出てくる町って、松本さんが現在住まわれている神戸の町を連想してしまいます。


KinKi Kidsスワンソング

若き獅子たち

最近ぼくが気になっているアーティストの林部智史さん。林部さんが歌っている動画を見ていて、いいなと思った1曲が西城秀樹さんの「若き獅子たち」という曲でした。

この作品は1976年9月5日に西城さんの18枚目のシングルとして発売されました。作詞は阿久悠さん、作曲は三木たかしさんです。当時の西城さんは、阿久さんと三木さんのコンビによるシングルを相次いで発表していました。1976年2月25日に発売された16枚目のシングル「君よ抱かれて熱くなれ」から、1977年9月5日に発売された22枚目のシングル「ボタンを外せ」までの7作品になります。

これらの作品は、西城さんのヒット曲の中では、今ひとつ印象が薄かったです。「ブーメラン・ストリート」だけは印象が強かったですけど、阿久さんと三木さんが作られたというのが意外な感じでした。当時の阿久さんは1976年に都はるみさんの「北の宿から」を、1977年に沢田研二さんの「勝手にしやがれ」を提供し、2年連続で日本レコード大賞受賞曲となりました。三木さんも1977年に石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」を提供し、日本レコード大賞中山晋平賞を受賞していますし、2人とも他のアーティストの印象が強いです。

若き獅子たち」はサビの部分だけ聴いたことがあって、西城さんが壮大なスケールでシャウトして歌っていたというのが、子供の頃に見た印象でした。

いま改めて、「若き獅子たち」を見ていて気づいたのは、西城さんは本来音程とかリズムを厳しく管理して歌っていたということ。それと、常にシャウトしていたわけではなく、Aメロ、Bメロからサビに進んでいく中で、相当歌い方を練った上で、サビの盛り上がりであのシャウトする歌唱に繋げていったということ。

阿久さんは、そういう西城さんの歌唱力の高さの根本には、歌の理解力と構成力が優れていると見ていたそうです。当時の歌番組が歌をフルコーラスで歌わせず、1コーラス程度でカットするという不満を話したときに、「だったらカットできない曲を作ればいいじゃない」と言われ、「だったら(三木)たかしに頼もう」と思い、西城さんの「ジャガー」ができたそうです。


西城秀樹 若き獅子たち

さて、西城さんを偲ぶ歌番組で、林部智史さんがベイビー・ブーと一緒に、「若き獅子たち」を歌いました。西城さんの歌い方とは違いますけど、林部さんのまっすぐな歌い方にも好感を持ちました。そして、たぶんリアルで聴いたことがない世代の林部さんが、この作品を理解した上で歌っているのが感じられたのもさらに好感が持てました。

カラオケで歌う曲には、何となくその曲のイメージを持ってしまっていて、そこから歌いに入ってしまいますけど、いったんそういうイメージを取っ払って、原曲を見つめてから歌ってみたら、自分の歌もまた違った歌になるのかもと思いました。


若き獅子たち 林部智史&ベイビー・ブ-

ジェネステ2018 DAY-2 東京第一会場大会

2月2日、ぼくはジェネステ(NEW GENERATION LIVE STAGE)というカラオケ大会のDAY-2(地方予選)東京第一会場大会に行って、歌ってきました。

ジェネステはまずDAY-1(音源審査)がありますので、自分の歌をCDに録音して送りました。現役のシンガーの方やボーカルトレーナーの方など6名の審査員の方が審査をしてくださり、詳細な寸評を返していただきました。

どの曲を選ぶかというのが第一の関門ですが、日頃のDAM★ともで、素点が95点以上取れている曲の中から、点数が伸びてきていた、林部智史さんの「恋衣」という曲を選びました。ぼくはもともと高い音が出ないこともあって、最高音はファルセットを使いますので、どうしてもファルセットから地声への切り換えが必要なんですが、そこがうまくいったりうまくいかなかったりという繰り返しでした。安定して高得点が取れている他の曲で安全パイを取る方法もあったんですが、プロの方の寸評が戴けるのはありがたいと思い、DAY-1を通過しなくても構わないと思い、この作品でエントリーしました。

エントリーから3週間後に審査結果が届き、音源審査を通過して、DAY-2に進むことができました。ファルセットと地声への切り替えについては失点の指摘を頂きましたが、それ以外の箇所についてはお褒めの言葉を頂けたので、「それならDAY-2でも無事に歌えるかも」と思い、DAY-2も同じ曲でエントリーしました。

その後はビッグエコーに行っても、時間の半分以上は「恋衣」を歌って、失点部分についての改善方法のコメントを受けて、ファルセットの練習とか地声への切り替えの練習をしてました。この歌い方ならいいかもしれないと光明が見えたのが本番2日前の1月31日でした。

東京第一会場は歌舞伎町にある「新宿Motion」というライブハウスでした。ジェネステはDAY-1の審査基準や、事務局のツイートなどを見て、初心者からすごく上手い方までを幅広に集めるのかなと思っていましたが、本番前日に発表された歌唱者と歌唱順の表を見たら、上手い方のお名前があちこちにあり、「出るんじゃなかった…」という思いがしました。そして、本番当日の皆さんの歌を聴いていて、「ここには上手い人しかいないんだ」ということを実感しました。いつもそうなんですけど、ぼくには他の上手い方の歌を真似ることはできないので、結局はぼくの歌をお届けするしかないというところに行き着きます。ただ、上手い方の歌やステージングを生で見るのは学ぶことが多いですし、細かい仕草も含めて、自分の歌に生かしていけると思うことがいくつもありました。

過去のジェネステの大会映像をYouTubeで見ていて、会場のノリが悪いというか、雰囲気が冷たそうな大会なのかなと心配していましたが、今回はその逆でいい雰囲気でした。ジェネステの事務局である社長さんや司会の方やスタッフの方が、温かい空気感を作ってくださったこともあり、イベントとして楽しめましたし、会場も終盤にかけて盛り上がっていったと思います。

休憩の時間を使って「採点チャレンジ」というコーナーがあり、カラオケの高得点を競い、全国1位となった方はDAY-3に進めるという特典もあるんですが、むしろ真の特典は、本番以外にもう1曲ステージで歌うことができることにあるのだと思います。ぼくは最初は「採点チャレンジ」に出るつもりはなかったんですけど、せっかくのチャンスであることに気づいたので、本番で「恋衣」を歌った後に申し込みました。そのときに、ジェネステの社長さんに「素敵な歌唱でしたね」とお声かけを頂けたのが嬉しかったです。ぼくもいつもは一人カラオケですから、人に自分の歌を褒められるということがないので、褒められることには慣れてないんです…。その後、「採点チャレンジ」では竹島宏さんの「月枕」を歌って、95点は超えたのでほっとしましたが、司会の方が歌いやすいようにMCで2,3の会話をして頂けたのも歌う気持ちが楽になって良かったです。

出場された皆さんが僅差なのだと思いますが、3位から7位までは決めるまでに審査員の間で議論があったそうでした。ぼくもカラオケ大会が今回で4回目となり、緊張することはなくなりましたけど、もっと歌が上手くなりたい、もっとステージングを工夫したいという思いは一層強くなりました。入賞にはまだ届かないレベルなんですけど、会場を出た後から初めて「悔しい」という思いがじわじわとこみあげてきました。他の出場者の上手い方のツイートでも「悔しい」という言葉がありました。

何十回も歌えば、歌は上手くなると思います。今回の「恋衣」も、初めて歌ったときは88点でしたけど、今は99点も取れるようになりました。だから、できないことはないと思っています。この後、ジェネステから寸評が頂けるということですので、失点箇所の改善をしたいと思います。そして、いつかは入賞したいですね。

だってしょうがないじゃない

年末から風邪をひいてしまって、喉は痛くないんですが、咳がひどい状況が続き、1月の終わりを迎えてしまいました。こういう体調の時は、カラオケで歌っていても、微妙なところが上手くいきません。声を張り上げすぎて歌うと、その音程や音量を維持できなくて、声が裏返ってしまったり、ひどいと咳が出て歌えなくなったりとかしました。

何となく、力んで声を張って歌ってしまっている習慣を振り返りつつ、逆にもっと喉を楽にして、つぶやくように、語るように歌うことがてきる曲もあるだろうと思いました。そんな時に思い出した1曲が、和田アキ子さんの「だってしょうがないじゃない」という曲でした。

この作品は1988年4月25日に和田さんの47枚目のシングルとして発売されました。作詞は川村真澄さん、作曲は馬飼野康二さん、編曲は矢島賢さんです。川村さんというと、久保田利伸さんの初期の作品である「Cry On Your Smile」や「You were mine」、渡辺美里さんの「My Revolution」への印象があったので、この作品での提供は意外でした。馬飼野さんは和田さんへの作品提供は多いんですが、有名な作品では、作曲では「古い日記」、編曲では「コーラスガール」や「今あなたに歌いたい」です。

矢島さんのお名前は初めて見たんですが、どういう方か調べてみたら、セッションギタリストとしての名声を高めた方で、長渕剛さんが「ソロギタリストで唯一頭が上がらない人物」と公言するほどだったようです。また、日本の数あるヒット曲のサウンドをまさに支えてきたともいえ、あの曲も、この曲も、矢島さんのギター演奏によるものです。山口百恵さんの「プレイバックPART2」、沢田研二さんの「憎みきれないろくでなし」、近藤真彦さんの「ハイティーン・ブギ」、中森明菜さんの「少女A」、「十戒1984)」、「サザン・ウインド」、長渕剛さんの「とんぼ」、布施明さんの「シクラメンのかほり」、野口五郎さんの「私鉄沿線」、「グッド・ラック」…。

さて、和田アキ子さんの「だってしょうがないじゃない」は、作家の皆さんの上に挙げた他の作品とはイメージが異なる、都会の大人のポップスに仕上がっていて、ぼくはイントロのアレンジを聴くと、都会の雑踏とか交差点とかを想像しました。当時の渋谷駅前のスクランブル交差点とか。ただ、この作品の歌詞には関西弁が入ってます。「何度ほれてみたって 恋だけはアホやね」とか、「ずっとこのままなんて あかんと思うでしょ」とか。それなら心斎橋あたりか本町なのかも。

和田さんのイメージというと、「あの鐘を鳴らすのはあなた」みたいな、パワフルに歌い上げるイメージが多いと思いますけど、バラードではない和田さんの作品にも隠れた魅力があると思います。この作品は押し付けがましくなくて、言葉とサウンドがすっと心の中に入っていく感じがしたので、ぼくはこの作品がヒットする前から何となくカラオケで歌うことがありました。ぼくと年代も違うし、女性の歌なんですけど、周りの人からは「いい曲だね」という印象だったようです。

この作品はオリコンでは最高25位ですが、1988年から1989年にかけてのロングヒットとなり、100位以内に52週登場するロングセラーとなりました。NHK紅白歌合戦でも、和田さんは1988年・1989年と2年連続でこの作品を歌唱しています。こういう路線の作品を歌い続けていたら、越路吹雪さんの後継者となっていたかもと思います。


だってしょうがないじゃない・和田アキ子ベストコレクションlyrics VideoCrip