DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

故郷へ…

今年もあと2週間となりましたが、ぼく自身は仕事が忙しかったり、カラオケの方も予定を控えていたりで、年末を迎える体制にはまだなってません。そういう中でも脳裏でいろいろな歌を思い起こしてますが、最近はDA PUMPの「U.S.A.」が結構脳内を占めているなか、ふっと何度も蘇ってくる曲が、八代亜紀さんの「故郷へ…」という曲です。

この作品は1978年9月25日に八代さんの26枚目のシングルとして発売されました。作詞は池田充男さん、作曲は野崎真一さん、編曲は竹村次郎さんです。この3人による他の作品としては、八代さんの代表曲である「愛の終着駅」があります。池田さんの作品では大月みやこさんの「白い海峡」があり、「故郷へ…」もそうですが、都会に出てきて不器用に生きる女性の心情をうまく表現しています。「白い海峡」の2番の冒頭の「憧れた東京は おんなの谷間」という歌詞はすごく印象的でした。野崎さんは石原裕次郎さんや八代さんの作品を多く提供されましたが、1976年に提供した「もう一度逢いたい」で、八代さんはこの年の日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞しました。そして1977年は「愛の終着駅」で2年連続の最優秀歌唱賞を受賞し、これは今も歴代1位の記録となっています。

1970年代後半はピンク・レディーによる爆発的なブームが続き、沢田研二さんも最盛期の活躍を見せるとともに、新御三家と言われた野口五郎さん、西城秀樹さん、郷ひろみさんの男性アイドル、花の中三トリオから始まった森昌子さん、桜田淳子さん、山口百恵さんの女性アイドルの人気もピークを迎えました。一方、演歌は大ヒット曲が少なくなり、当時の賞レースに演歌歌手で毎年活躍していたのは八代さんぐらいでした。

八代さんは「なみだ恋」がヒットしてスター歌手になったこともあり、女性の心情を切々と歌った作品が多く、「故郷へ…」の歌の世界も、都会に上京して、夜の水商売で生きている女性を主人公にしています。八代さんの歌のファンになったのは、女性ではなく、トラック運転手の男性たちでした。「トラック野郎の女神」として注目されるようになったんです。毎日働いていれば、辛いこともあるし、心が弱くなることもある。そんなとき、八代さんの歌声に心を慰められ、何か頑張っていけるものを掴んで、前に進んでいこうという気持ちを取り戻せたから、多くの支持を得たのだろうと思います。

昭和の歌にはドラマチックさが滲んでいました。昭和の時代が怒涛の歴史を経たからなのかもしれません。それだけに心の琴線に触れる歌が多かったような気がしますし、歌手の歌そのものにも迫力があったと思います。メッセージ性が高かったということでしょうか。一方、平成の歌は音楽技術も進んで、洗練された音楽が増えたとは思いますが、ちょっと綺麗になりすぎた感じもあります。昭和でも平成でも、毎日の生活で起こっている、辛いことや上手くいかないことの根本はあんまり変わってなくて、歌詞の中身の基本も実はそれほど変わってないと思うんですね。サウンドやパフォーマンスの形は色々あると思いますけど、もう少し人生のリアルさをじわっと出して行った方が、歌手の歌を聴こうと思う人はまた増えてくるんじゃないかなと思います。

ぼくは東京にいるから、「故郷へ…」の歌詞の最後の「故郷に帰る夢があるから」というシチュエーションはありませんけど、ぼくが思う「故郷」っていうのは、田舎や実家ではなくて、例えばいつかまたあの仕事をやってみたいという過去の経験に基づく良い思い出の世界への回帰であったりするし、あるいは自分の中に眠っているDNA、それは歌のDNAでもいいんですけど、自分を輝かせてくれる歌を歌える場所であったりすると思ってます。後者の場合は「まだ見ぬ故郷」なんですけど、そういう自分のホームを探そうと、チャンスを掴もうと、夢を信じて東京で頑張って生きている人たちが何百万人もいるんだよなあと思うと、東京はまた包容力も持っているのだなと感じます。


故郷へ・・・_八代亜紀

U.S.A.

11月15日に株式会社第一興商が発表した「DAM年間カラオケランキング2018」。調査期間は2018年1月1日から11月10日までなので、これは「速報版」でもありますが、今年リリースされた曲で、楽曲別TOP50にランキングされたのは、1位になった米津玄師さんの「Lemon」、4位になった菅田将暉さんの「さよならエレジー」、21位になったDA PUMPの「U.S.A.」など5曲でした。このランキングの確定版(調査期間が12月31日まで)は来年1月に発表される予定ですが、更に順位を上げてきそうなのが、DA PUMPの「U.S.A.」です。

外は急に寒くなってきましたけど、12月のカラオケ屋さんの中は盛り上がってるグループが多いですし、音のボリュームも上げてるグループが多くなります。ぼくは1人で、割と静かで盛り上がらない曲を歌ってるんですが、隣室から聞こえてくるのは、男子グループの「C'mon, baby アメリカ」の連呼!「おまえら一体「U.S.A.」何回歌ってるの?」って聞きたくなるぐらい歌ってました。ドリンクを取りに行ったら、別の部屋からも「U-U-U.S.A. U-U-U.S.A.」ってイントロ丸聴こえでした。ぼくも周りからの圧と、DAM★ともの録音も終わったんで、という開放感で、歌っちゃいました。歌ってみると、結構気持ちいい歌でした。踊れたらもっと気持ちいいだろうなと思います。ISSAさんはもともとキーが高い方ですけど、さらに踊りながら歌ってるのは凄いとしかいいようがありません。

もともと「U.S.A.」の原曲は、1992年にイタリア人歌手のジョー・イエロー(Joe Yellow)というユニットが歌った作品が、ユーロビートレコーズからアナログ盤として発売されました。彼らは、Domenico Ricchiniを中心とする3人ユニットで、1983年から1996年まで活動し、数々のシングルヒットを出して、ヨーロッパのベスト・コンポーザーに選出されたこともありました。

日本にこの作品が登場したのは、1997年に発売された『MAHARAJANIGHTVol.FINAL』で、その後もコンピレーション・アルバムの中で収録されていました。

DA PUMPの「U.S.A.」の日本語詞はshungo.さんが作られました。原曲の歌詞がアメリカを恋人に見立てて誘惑するような内容なのに対し、shungo.さんの日本語詞は、日本人が思っているようなアメリカ像をちょっとシニカルに表現しているのが、ぼくは面白いなと思いました。あえて「ダサかっこいい」路線にしてみたわけです。

ISSAさんはライジングプロの社長から、この作品を提案されて、最初は戸惑ったそうです。しかし、「僕らにできることは“完璧に仕上げること”なので。そこでスイッチも入りましたし、“U.S.A.という場”で、“しっかり遊ぶ”“真剣にふざける”などの方向性が見えた時点で、違うものに見えました。自分たちのものとして、きちんと落とし込めているし、しっくりきている。だんだん自分たちの曲に育っていった感じですね。」と気持ちが変わったそうです。大ヒットの秘話のエピソードに割とあるのが、初めてその作品を聴いたときは、「何でこんな作品を歌わなきゃいけないんだ」みたいな、第一印象最悪っていう話なんですよね。でも「大嫌い」を自分の中で昇華していったら、何か腹落ちするものが見えてくるっていうのは、もしかしたら、自分に新しい引き出しができたのかもしれない、それが自分の成長なのかもしれませんね。だから、原曲の「U.S.A.」とは違う作品に仕上がっているのだと思います。


U.S.A. (EXTENDED VOCAL REMIX) / JOE YELLOW ジョー イエロー (Da Pump USA 原曲 カバー) ダ パンプ

「ギョギョギョ」って聴こえるのはぼくだけかな?

そして、DA PUMPの「U.S.A.」。本当にライブが似合う、いま日本で最も生き生きしたアーティストではないかと思います。ISSAさんの生歌は勿論、メンバーのダンスも手を抜かず、そして楽しそうに踊っているのがとてもいいと思います。


DA PUMP 2018.06.06 ♪U.S.A./池袋サンシャインシティ(1回目)

そして、今年の宴会芸で「U.S.A.」にチャレンジする皆さんも多いらしいですね。ミラーバージョンで集中勉強してみると雰囲気はつかめるかも。健闘をお祈りします。


DA PUMP / U.S.A. Dance -Mirror ver.-

11年目のDAM★とも

「1人カラオケ(ヒトカラ)」も、世の中では随分浸透してきたように思います。ぼくが初めてヒトカラに行ったのは15年ぐらい前のことで、1人での地方出張で夕食も済んで、ちょっと暇つぶしにと思って1人でカラオケ屋さんに行ったんです。カラオケはグループで行って楽しむものだと当時は思ってましたから、1人でカラオケに行くのはちょっと緊張しましたけど、部屋に入って歌い始めたら、1人でずっと歌を歌えるこの開放感を初めて味わって、いい時間を過ごせたと思いました。

この頃のカラオケは、自分が歌った歌を採点することはできましたし、同じ曲を全国で点数を競うランキングバトルもありましたが、他の人の歌声を聴く機会はありませんでした。

2008年12月にDAM★ともがスタートして、他の人が歌った歌を聴くことができるようになりました。自分が歌った歌も他の人に聴いてもらえるようになりました。でもどうやったら自分の歌を聴いてもらえるのかがわからず、まずは他のユーザーさんが公開した曲を次々と聴いていきました。聴いたらそのお返しで自分の歌も聴いてもらえるようになりました。

そのうちお互いの歌を聴き合うようなユーザーさんもできるようになりました。ぼくが聴いているユーザーさんは、歌が上手い方もいますし、綺麗な声の方もいますけど、自分の思いで一生懸命歌っている方が多いなあと思います。「このアーティストが好きだから歌ってみた」とか、「この曲を歌ってみたいから歌ってみた」とか、そういう気持ちがユーザーさんの歌を聴いて伝わってくることが多いです。また、聴き合うユーザーさんたちとは、同じアーティストが好きだという方はほとんどいなくて、それぞれのユーザーさんたちも歌の好みが違っています。ぼくにとっては日頃自分が歌わない歌をユーザーさんの歌で聴くことができるので、面白いし、いい刺激になってます。

DAM★ともって、SNSではあるんですけど、コミュニケーション機能はほとんどないんですね。ぼくの場合無料の会員ですから、1文字もコメントを発信することができません…。だからユーザーさんたちに聞いたことはないんですけど、ぼくの歌をいつも時間を割いて聴いていただけるのは、本当に嬉しいです。そういうユーザーさんの優しさに支えられてるから、ぼくもDAM★とも11年目に入ることができたのだと思ってます。

DAM★ともを10年やって、「歌は上手くなったのか」って聞かれたら、10年前よりは上手くなったかなって思います。それと、ヒトカラを始めてからしばらくの間は喉が痛くなることがありましたけど、最近はカラオケで歌っても喉に負担がかかるような歌い方はやらなくなってきたように思います。あと、ビッグエコーに行くのにお店の前でちょっと緊張することはすっかりなくなりました。ヒトカラのお客さんって本当に多くなりました。

ぼくの歌は他のユーザーさんたちにどういうふうに聴いてもらえてるのかはわかりませんけど、ぼくが他のユーザーさんの歌を聴いて思うのと同じように、心地よく聴いて感じていただけたらいいなと思ってます。

津軽じょんがら節

土日に町や公園を歩いていると、ストリートで歌を歌ったり、楽器を演奏したりしている人たちを見ることがあります。先日は、津軽三味線を弾いている綾人さんという若い男性の演奏を見ました。ストリートにおける三味線の注目度って、正直歌やギターよりはパワーを持っていると思います。日頃ストリートの演奏に足を止めない中高年の方も三味線には足を止めて、演奏をじっと聴いているんですよね。

そんな津軽三味線のパワーから思い出したのが、民謡歌手の岸千恵子さんです。岸さんは津軽民謡の有名な歌手として活躍されましたが、歌いながらステージを走って動き回ったり、「ゆさぶり民謡」という独自の発声と振り付けによるパフォーマンスは、不動の姿勢で歌う民謡のイメージを覆す、素晴らしい芸能であったと思います。

岸さんがそもそも飛び跳ねて歌うようになったきっかけは、ご自身の弁によると、「民謡のオーディションがあってよ、前の晩呑みすぎて朝起きたらフラでもう倒れそうだったんだよ。こりゃ普通に歌ってもダメだど思って、歌ってる最中二日酔いでフラフラで、体揺さぶって歌ってみたんだよ。そしたらそれが良がっだみてぇでよ、そっからだな。」だそうです。

岸さんの歌っている姿をみると、歌いながら手で振り付けはするし、体は飛び跳ねているし、マイクも思いっきり離れているんですが、もちろん歌声は力強く聞こえるんです。岸さんが凄い肺活量を持っていたんだろうと思いますが、幼少時に「津軽の天才少女」と言われただけの歌の天性があったんだと思います。

演歌歌手の前座を務めて、民謡歌手だとバカにされた辛い事もあったそうで、「今に見てろ!」って思ったそうです。そこで、普通に民謡を歌うのではなく、パフォーマンスを取り入れて、お客さんに喜んでもらおうというのもあったでしょうが、「こんなことやってもオレは歌えるんだぞ!」って、他の歌手たちに見せつけたかったのかもしれないと思いました。(当時の田舎の女性って、自分のことを「オレ」って言うんです。)

岸さんは1985年に「千恵っ子よされ」がヒットしたこともあり、1988年にNHK紅白歌合戦に出場し、「津軽じょんがら節」を歌唱し、テレビ画面からはみ出るほどの動きを見せたパフォーマンスを披露しました。


津軽じょんがら節 岸 千恵子 UPD‐0040津軽じょんがら節 岸 千恵子

山は心のふるさと

日本は四季折々の景色に触れることができる国だと思います。春は桜の花を愛で、秋は紅葉の彩りを楽しみます。京都の紅葉も今が見頃ですが、なかなか行けないぼくは今年も、25日にBS11で放送された「京都紅葉生中継」を見て、無鄰菴の紅葉を楽しむことができました。歌のゲストには芹洋子さんが出演され、童謡の「紅葉」や、芹さんの代表曲である「四季の歌」を歌われていました。

桜の歌は、童謡の「さくらさくら」は勿論ですが、J-POPも森山直太朗さんの「さくら」や、いきものがかりの「SAKURA」をはじめ、大ヒット曲が何曲もあります。ところが紅葉の歌となると、童謡の「紅葉」は誰でも知ってますが、J-POPでも演歌でも「紅葉」の大ヒット曲は見当たらないんです。同じ秋でも「コスモス」の大ヒット曲は山口百恵さんの「秋桜」があるんですが。


童謡「紅葉(もみじ)」

さて、ぼくが気になった歌は、芹洋子さんが歌った「山は心のふるさと」という曲でした。この歌を作詞・作曲したのは赤星正明さんという登山の愛好家の方で、山で歌える歌をいうことでハーモニカで曲を作られたようです。40年以上前にはこの歌は既にあったようで、山小屋で酒を酌み交わす山男たちの愛唱歌ということで歌い継がれてきたそうです。

芹洋子さんは、「山男の歌」をベースに作られた「坊がつる讃歌」が大ヒットし、1978年のNHK紅白歌合戦に初出場されています。それ以来、山の歌を歌う機会も多いそうで、2016年に山の愛唱歌や名曲を集めたアルバム「山は心のふるさと」を発売し、表題になったこの作品を知り、初めてCDに収録しました。

歌声喫茶(ぼくは行ったことありません。)では歌われてきたそうですが、芹さんがCDに収録したことで話題にもなったそうです。

歌手の皆さんは、自分がどういう歌を歌って、お客さんに多く聴いてもらおうかを常に考えてるのだと思います。素人のカラオケでも、ただきれいな声で歌ってるだけでは足りなくて、自分の歌というか個性を出して、他の方と差別化を図らないといけなかったりします。芹さんは、「四季の歌」や「おもいでのアルバム」など、流行歌とは一線を画した叙情歌・大衆歌の歌手としての独自の道を歩まれていて、今回久方ぶりにその清らかで暖かみのある歌声を聴いて、歌の道もいろいろあるんだなと思いました。

DAM★ともを探したら、「山は心のふるさと」がありましたが、どなたも公開してませんでした。ぼくも歌ってみたいと思います。


芹洋子「山は心のふるさと」「四季の歌」

Lovers Again

11月21日に株式会社第一興商が、「DAM平成カラオケランキング」を発表しました。通信カラオケDAMがサービスを開始した1994年(平成6年)4月から2018年(平成30年)10月までのデータを集計したとのことです。色々のランキングがありますが、「歌手別ランキング」では1位が浜崎あゆみさん、2位がEXILE、3位がMr.Childenでした。また、EXILEの曲で「楽曲別ランキング TOP50」にランクインしていたのは「Lovers Again」(31位)の1曲だけでした。

「Lovers Again」は2007年1月17日にEXILEの22枚目のシングルとして発売されました。作詞は松尾潔さん、作曲はJin Nakamuraさんで、このコンビで2008年に「Ti Amo」を作って、EXILE日本レコード大賞を受賞します。EXILEも「第二章」のスタートで、ボーカルにTAKAHIROさんが加入して、2006年12月に「Everything」、2017年1月に「Lovers Again」、2017年2月に「道」とシングルを3か月連続でリリースしています。この3曲の中で「Lovers Again」はオリコン最高は2位でしたがロングヒットを続け、2007年度の年間ランキングでは17位となり、2007年度のJASRAC賞では銅賞(著作権使用料分配額で国内作品の3位)を受賞しました。確かに当時はカラオケに行っても、EXILEの曲を歌う人が多かったですね。カラオケの部屋も当時は壁が薄かった?のかはわかりませんけど、隣の部屋から同じ歌を歌ってる声が聞こえたりして、なんてこともありました。「Lovers Again」は歌ってる人が多すぎでしたね。その反動でその後10年ぐらいは、歌いたくもなかったし聞きたくもなかったって感じでした。

でも、今「Lovers Again」を聴くと、男性の気持ちのもどかしさやせつなさが滲み出てくるぐらいに、よく表現されているいい曲だなあと思います。こういう曲をEXILEにまた歌って欲しいなあと思うのは、ぼくだけではないと思うんですけど。これからの冬の季節にぴったりで、心を暖めてくれる作品だと思います。ぼくもあの頃に戻って、もう1回歌ってみようと思います。


EXILE / Lovers Again -Short version-

正義の味方はあてにならない

ぼくがDAM★ともでお気に入りにしているアーティストのSMAPSMAPは男性アイドルグループとしての活躍のレベルを超えて、国民的グループとして幅広い年代からの支持を集めたことは、日本の歌謡史においても特筆すべき存在であったと思います。

そんなSMAPは、デビュー当初はジャニーズ事務所内部では、先輩アイドルたちのスタートダッシュと比べて「期待外れのグループ」としての烙印を押されていました。SMAPのシングル全曲の中で最もチャートの最高順位が低かったシングルが、2枚目のシングルとして1991年12月6日に発売された「正義の味方はあてにならない」という曲でした。
デビューシングルの「Can't Stop!!-LOVING-」はオリコン最高2位で、15万枚のセールスでしたが、この作品はオリコン最高10位で、12.9万枚のセールスでした。ちなみに、最も売れなかったシングルは4枚目のシングル「負けるなBaby!~Never  give up」で、オリコン最高5位、9.5万枚のセールスです。

「正義の味方はあてにならない」は、作詞が小倉めぐみさん、作曲が馬飼野康二さん、編曲が新川博さんです。小倉さんは南野陽子さんの「はいからさんが通る」や「楽園のDoor」への作詞提供もありますが、その後のSMAPの大ヒット曲「がんばりましょう」や「たぶんオーライ」の作詞を提供するなど、初期からブレイクまでのSMAPへの作品に関わってこられました。馬飼野さんは多くの歌手への楽曲提供を行ってきたヒットメーカーですが、歴代のジャニーズ事務所の歌手への楽曲提供も行っており、SMAPの初期からブレイクまでの作品として、「オリジナルスマイル」や「しようよ」などのヒット曲を提供されています。新川さんはハイ・ファイ・セットのバックバンドとしてプロデビューされた方で、松任谷由実さんのステージの音楽監督としてツアーに参加した後、本格的な編曲活動を行ってこられた方で、ジャニーズ事務所では光GENJIへの楽曲提供を行ってきました。新川さんのお仕事の履歴を拝見しましたが、Kinki Kidsの「青の時代」、堂本剛さんの「街」、荻野目洋子さんの「六本木純情派」、1986オメガドライブの「君は1000%」など、ぼくの興味を惹く作品がいくつも出てきてびっくりしました。

それで今再び、「正義の味方はあてにならない」を聴いてみると、そんなに売れなそうな歌には聞こえませんでした。デビュー曲「Can't Stop!!-LOVING-」が、ジャニーズ事務所の可愛い男性アイドル路線の無難な曲とすると、この作品は今から思うと、その後のSMAPの大ヒットに繋がる萌芽だったのかなと思います。当時の先輩アイドルだった光GENJIや少年隊がとても歌わなそうな、ぶっとんだ面白い歌詞に、かっこよさを売りにしない曲を、当時のビクターの人たちが採用したことに先見の明があったなあと思います。1980年以降のスーパーアイドル歌手が輩出され活躍した時期がピークアウトし、アイドルそのものが飽きられてきた頃でもあり、芸能事務所やレコード会社はアイドルのプロモーションの方向転換を模索していた時期であったし、視聴者やファンはまだ新しいアイドル像を受け入れられる体制ではなかったからこそ、SMAPはデビューしてから数年は苦戦を強いられてしまったのだと思います。

昔の動画を振り返って思うのは、SMAPは、今のジャニーズ事務所のアイドルグループと比べても、個々の存在感があったんだろうと思います。


正義の味方はあてにならない


正義のみかたはあてにならない


テレ東音楽祭SMAPデビュー2曲目正義の味方はあてにならない

最近は、「SMAP」という言葉を使ってはいけない旨のジャニーズ事務所からの通達があるやに聞いていますが、テレビ東京は上記の動画のように、SMAPの、しかも「正義の味方はあてにならない」の映像をしっかりと流しています。この番組にはジャニーズ事務所のタレントも出演していましたが、しっかりと放送しました。NHK香取慎吾さんをニュースで紹介するときに「元SMAP香取慎吾さん」とニュースでアナウンスしました。それにひきかえ、最近TBSで放送された「歌のゴールデンヒット」という番組は、「年間売上げ1位の50年」と銘打ちながら、見事にSMAPの「世界に一つだけの花」だけを省略し、SMAPに触れない放送を行いました。ジャニーズ事務所に忖度したとしか思えません。しかし、日本の歌謡史を支え、記憶に留めているのは、それぞれの歌手や歌を支持した我々大衆なのであり、一芸能事務所がその歌手を毛嫌いするからといって、日本の歌謡史から抹消することはできません。できもしないような無理筋な番組に仕立て上げたから、ネットで炎上騒ぎになっているのは、起こるべくして起こったまでのことだと思います。