DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

まだ涙にならない悲しみが

このブログでも書きましたが、演歌歌手の竹島宏さんの最近の2作「月枕」と「恋町カウンター」は、作詞が松井五郎さん、作曲・編曲が都志見隆さんという、1980年代以降のJ-POPの隆盛を支えた作家の作品です。かつてのポップスの作家が演歌歌手に作品を提供している傾向はあるようで、松井さんは、演歌歌手の山内惠介さんに「冬枯れのヴィオラ」や最新作「さらせ冬の嵐」を提供していますし、都志見さんも演歌歌手の川上大輔さんに最新作「シャボン玉の恋」と「鳥の歌」を提供しています。

ぼくがDAM★ともで歌ってきた松井先生の作品は多くありますけど、印象に残っているのは、Kinki Kidsの「まだ涙にならない悲しみが」という曲です。この作品は2013年10月23日に彼らの33枚目の作品として発売されました。作詞は松井さん、作曲は織田哲郎さん、編曲は亀田誠治さんです。C/W曲の「恋は匂へど散りぬるを」(作詞・作曲・編曲は吉田建さん)共々結構好きで歌っていた曲で、当時のヒトカラ時間の終了10分前の電話の後は、トリ前が「恋は匂へど散りぬるを」で、トリが「まだ涙にならない悲しみが」を歌っていた時期がありました。

「まだ涙にならない悲しみ」はメロディーは夏のこれからの季節感を思わせるような、織田さんらしい、伸びやかだけどちょっとせつなさもある感じなんですよね。それに対して、歌詞は結構暗めなんですよね。冒頭から「合鍵を外すKeyholder 君の手が泣いた」ですから。「優しさでは 埋められない さみしさの距離が 未来まで変えた」とか「幸せはね 脆いものさ 守ろうとして そのせいで壊す」とか、せつなさやもどかしさやはがゆさを上手く言い当てている言葉なあと、歌いながら歌詞のテロップを見ては思うんですが、織田さんのメロディーと松井さんの歌詞がうまく絡み合って、それを剛さんと光一さんがまとめて歌っている、調和された作品だなあと思います。歌っていると前向きになれたんですね、どういうわけか。この作品のPVも、一緒に音楽を作っている仲間たちと、その中での恋模様とあったりで、いい感じでした。何気に織田さんも出演してましたね。

カラオケ大会に出るために、歌う曲とその練習での数曲以外は歌ってなかったので、今日この曲を歌おうと思ったら、すっかり忘れてしまっていました。数年前の記憶をぼくは今思い出しているところです。youtuberさんの歌もupしておきます。


MY FAVORITE SONGS Vol.96 まだ涙にならない悲しみが/KinKi Kids(Cover)

東京カラオケまつり新宿大会

6月9日(土)に新宿区角筈区民ホールで開催された「2018東京カラオケまつり」の予選大会である新宿大会を観覧してきました。観覧だけではなくてぼくは…そのステージで歌ってきました。

「2018東京カラオケまつり」のエントリー方法にはWebエントリーというのがあって、「DAM★とも」でいつものように公開曲を出しておいて、エントリーフォームを東京カラオケまつり実行委員会に送信しておくと、音源審査をしてくれて、予選大会に出れるかの合否を出してくれるんですね。手続きも楽だし、とりあえず送っておこうか程度の気持ちでエントリーしました。既に行われた予選大会の亀有大会や浜松町大会の情報を拾い集めていて、結構歌唱レベルも幅広く、カラオケを楽しむような大会なのかなと思っていたら、新宿大会はエントリーも多くて、カラオケ大会では有名な皆さまたちも参加されるようだったので、「だめだな」と思っていたら、まさかの合格メールが届いてしまい!

カラオケボックスでは歌っていますけど、カラオケ大会に出たことはありませんでした。歌が上手い常連の人たちばかりが集まる大会に、自分が出てもいいのか悩みましたけど、せっかくの機会なので出ることにしました。とはいえ、出るからには今のカラオケの点数を少しでも上げないとと思い、頻度を多くしてビッグエコーに通いました。ぼくはなかなか95点の壁が超えられなかったんですけど、1曲に集中して練習すると点数も上がっていくもので、97点台までは出るようになりました。とはいえこれはあくまでも独学なので、今回の「2018東京カラオケまつり」の大会副実行委員長でもある、カラオケ評論家の唯野奈津実さんのブログを読んだりして、カラオケ大会の一日の過ごしかたとかシミュレーションしたりしてました。

開催当日、会場に入ってみると、日頃Twitterで見たことのあるカラオケ大会常連の皆さんの生の姿を拝見することができましたし、歌声を聴いて、この人はいつも「DAM★とも」で聴いているユーザーさんご本人だなとわかった方が数名いました。ぼくはあまり舞台やステージでもそれほど緊張しない方なんですけど、今回は本番が始まってから出場者の皆さんの歌が上手いので、観客席からステージを見ているだけでも、一気に緊張が高まってしまいました。自分の出番の10人前ぐらいから舞台袖に入って待っていた方が割と落ち付けました。そして、自分の番になり、自己紹介をして歌いました。ステージはライトが当たっているので、観客の皆さんの顔が見えないんですね。唯野さんが「本番では自分の実力しか出ません」と言われているとおりで、今まで練習した成果しか本番では表現できないんですね。ただ、いつものカラオケボックスのマイクよりも性能がものすごくいいマイクだったので、「すごく声が出ていて、伸びているなあ」と感じながらも、マイクを持つ手は震えまくりでした。今回112組が出場したんですけど、緊張度は1番だったかもしれないと思いました。

審査結果の発表時に、審査員の先生が一言講評を話しましたが、「今回の出場者が歌が上手い人たちなのはわかりますが」としながらも、「皆さん一本調子で飽きてきた」とか「日頃のカラオケボックスの練習で採点を気にしすぎている。採点と歌を伝えることは違う」とか「上手い歌といい歌は違う」とか、ぼく自身には耳の痛いコメントが続きました。唯野さんが「いろいろなジャンルの歌を聴いて、学ぶことや気付くことは多い」と言っていたとおり、112組の歌声を聴いて、おやっと思うこともあれば、こういう風に歌うんだと思うこともあり、自分が井の中の蛙状態だったことを思い知らされました。それにしても生唯野さん、爽やかでいい声でした。

もちろんですが入賞はしませんでした。帰りに4人の審査委員の先生が書いてくださった審査表をいただきました。おそるおそるコメントを読んだら、意外に4人の先生ともぼくの声とか歌い方を褒めてくださる言葉ばかりで、正直「えっ…」という感じでびっくりしました。「ステージでの振る舞いが堂々としている」に○を付けられても、ぼくは緊張MAX状態だったんですが…。審査表のコメントって出場者をあまり傷つけないようにやさしいコメントをしてくださるものなんですね。観客席に座っていて、周りの人も話してましたが、「入賞するには歌の前に、緊張しない度胸を鍛える方が先だよあ」ってぼくも思いました。いま「DAM★とも」で、今日の出場者の皆さんの公開曲を順番に聴いてましたけど、やっぱり上手い人たちが集まりすぎてたんですね。

歌の旅びと

Youtubeを見ていると、知らない曲に出会うことがありまして、それで初めて聴いてみて、そしてまた聴いてみて、次第に自分の中で関心が芽生えてくる曲があります。演歌歌手の松原健之さんが歌う「歌の旅びと」という曲もそういう1曲です。

この作品は2011年5月25日に松原さんの7枚目のシングルとして発売されました。作詞は五木寛之さん、作曲は松坂文宏さんです。五木さんはNHKラジオの人気番組である「ラジオ深夜便」で、2005年以降トークのコーナーを持っていますが、2011年4月から2015年3月まで放送していた「歌の旅びと」というコーナーでの主題歌がこの作品でした。五木さんは作家活動だけでなく、作詞家としても精力的に活動されていますが、松原さんへの作品提供は他の歌手に比べても多く、デビュー曲の「金沢望郷歌」をはじめ、「冬のひまわり」や「雪明かりの駅」など、五木文学の世界の表現者のような役割を託されているようにも思えます。

「歌の旅びと」は地図にない町を探して旅に出ます。「もし翼があったなら」と同じシチュエーションですが。昔に思いを馳せて、なつかしいあの店が蘇り、若すぎた頃に出会った君との思い出を振り返ります。そして、「歌の旅びと」はおもいでの歌をたずねて旅に出ます。別れたあの人はあの歌をいまでもおぼえているだろうかと問いかけ、もう一度あの店で、あの歌を歌いたい、君にあいたくてと思うのです。

松原さんが「歌の旅びと」を歌っている動画を見ましたが、曲に盛り上がりのサビらしいサビはなくて、想い出を振り返るように、1フレーズずつ、それぞれのAメロが続いていくような感じでした。そういう地味な歌なのに、松原さんの歌にはなぜか説得力がありました。ぼくのカラオケを振り返ると、サビの盛り上がりに頼った歌い方ではまだまだだなということを感じつつ、それだけにこういう淡々と進むような曲への関心が芽生えてきました。こういう作品をシングル化しようとする決断はすごいと思いますね。ヒットすることは半分捨てて、作品への思いを重視している気がしますし。でも、その後の松原さんのベストアルバムでも「歌の旅びと」はトリの曲に使われているようですし、何十年経っても歌い続けていく作品になっていくのだろうと思います。


松原健之  歌の旅びと

ブーメランストリート

西城秀樹さんの告別式で、野口五郎さんが読んでいた弔辞の中で、

訃報(ふほう)を聞いて君の家に向かう途中で、僕は突然思い出して妻に言った。秀樹の歌で「ブーメランストリート」という曲があって、ブーメランだから「きっとあなたは戻って来るだろう」って歌詞だけど、でも戻ってこなかった人を、アンサーソングとして「ブーメランストレート」ってどう、って言ったら、それ良いねって、秀樹、大笑いして。そしたら彼本当に「ブーメランストレート」っていう曲を出してしまったんだよ。君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレーから突然「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で、五郎、来てくれたね、君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかなってそう思ったよ。

という一節がありました。

「ブーメランストリート」は1977年3月15日に西城さんの20枚目のシングルとして発売された作品です。子供の頃は「ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン」の所しか覚えてませんでしたけど、今改めてこの作品を聴くと、絶唱型の西城秀樹のスタイルを確立した作品だったのだなあと思いました。今の40代のアーティストであるGACKTさん、西川貴教さん、河村隆一さんなどは、この作品を聴いて、西城さんのボーカリストとしてのかっこよさを子供心に認識されたのだろうなと思っています。作詞が阿久悠さんで、編曲が萩田光雄さんというのはわかるんですが、作曲されたのが三木たかしさんというのは意外でした。三木さんというと「ブーメランストリート」を発売した1977年は、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」が大ヒットして、この年の日本レコード大賞中山晋平賞を受賞した印象も強く、その後のテレサ・テンさんへの「つぐない」をはじめとする一連のヒット曲から、ポップスも作るけど、演歌系の作家の方かなと思っていました。ところがそれはぼくの思い違いで、阿久さんと三木さんのコンビで、1976年の「君よ抱かれて熱くなれ」から1977年の「ボタンを外せ」まで、7作連続でシングル曲を提供していたんです。三木さんのウィングの広さに驚きました。

それから15年後、五郎さんが弔辞で披露したとおり、「ブーメランストレート」という作品が1992年11月21日に西城さんの68枚目のシングルとして発売されました。「ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン」のサビ以外は、全く違った作詞と作曲にしたことから、作詞は阿久悠、T'SPARTY、作曲は三木たかし多々納好夫、編曲は池田大介というクレジットで表記されています。西城さんも野口さんもデビューしてから20年が経ち、芸能事務所からも独立して、自由な活動ができる環境にもなったようで、野口さんからの提案が、「音楽でもっと遊んでみよう」という西城さんの気持ちにつながったし、2人はその頃から戦友としての共感を持ち始めたんでしょうね。

 ブーメラン ブーメラン ブーメラン ブーメラン
 きっと あなたは戻ってくるだろう

という「ブーメランストリート」の歌詞の一節を引用して、でも西城さんは亡くなってしまったというコメントも多く見ますが、いま西城さんの作品をもう一度聴いてみようと、シングルやアルバムを買っていく方が急に増えています。西城さんにとって、いま自分の歌を聴いてくれる多くの人が戻ってきていることを、きっと喜んでいてくれると思います。


西城秀樹 ブーメラン ストリート 1977

カラオケユーザーから見たカラオケ事業

5月30日にシダックス株式会社が、レストランカラオケ事業の相互発展に向け、株式会社B&V(=カラオケ店舗の「カラオケ館」を運営している企業です。)と資本業務提携の締結を決定し、シダックス株式会社の連結子会社であるシダックス・コミュニティ株式会社(=「レストランカラオケシダックス」を運営している企業です。)の持分81%及び、シダックス株式会社が保有するシダックス・コミュニティ株式会社の債権を株式会社B&Vに譲渡することになったことを発表しました。

ぼくはブログに「DAM★とも」と題しているとおり、カラオケ店舗の「ビッグエコー」を利用していて、他のカラオケ店舗も、「まねきねこ」や「カラオケBanBan」や「カラオケ館」は利用したことがありますが、「シダックス」は利用したことがありません。自分の生活の近くに「シダックス」の店舗がないからです。

シダックスはもともと、学校や企業の食堂での給食事業を行っている企業です。カラオケ事業に進出したきっかけは、当初立ちあげたレストラン事業がうまくいかず、その土地リース代を捻出すべく想起されたと言われていますが、「自宅の近くでカラオケと食事を楽しめる」ことをセールスポイントに、郊外立地戦略が成功し、一時は業界1位になったこともありました。最近でも売上高は「ビッグエコー」を運営している株式会社第一興商に次ぎ業界2位と言われていましたが、採算が合わない状況が続いたため、今回の株式持分譲渡と債権譲渡を行ったものと思います。

今回のシダックスの発表については、カラオケ評論家の唯野奈津実さんも見解を発表されています。

プロの方のように難しいことは書けませんが、お客さまのカラオケの利用方法が歴史的に変遷していると思います。思えば初めてカラオケを歌ったのはママさんがいるスナックで、みんなの前で順番に歌ったわけです。その後、カラオケボックスができて、「二次会はカラオケ」というのが当たり前の時代があり、学生でも社会人でも大人数でカラオケを楽しむようになりました。そして、今から15年ぐらい前から、一人カラオケヒトカラ)を楽しむユーザーが増えてきました。ぼくもヒトカラーの走りみたいなもので、最初は1名様での来店は珍しい感じでしたが、カラオケ店の店員さんも1人客が使った部屋の片づけは楽ですし、今では1人客の方が多いかもしれませんね。

カラオケ産業に限らないんですが、集客に当たって、郊外やロードサイドの立地戦略よりは、駅前立地戦略の方が今は有利かもしれません。ぼくは都心での店舗利用者なんですが、「シダックス」は郊外への店舗投資や、1人客ではない4人程度のファミリーや4人以上のグループ客を前提としている運営を、おそらく変えられなかったのかもしれません。でも、日本全国のどこにでも1人客はいるわけで、全国世帯の3分の1が1人世帯ともいわれています。「まねきねこ」は1人カラオケ専門店舗を次々とオープンして、「ヒトカラ」のニーズに応えているわけで、経営資源を活かした効率的な運営を、81%のカラオケ館と、19%のシダックスで知恵を絞って行くのかもしれません。

ぼくはカラオケの部屋っていうのは色々なニーズを持っていると思います。もちろん、歌うために来ているんですけど、隣の部屋で楽器を練習していた人もいましたし、お芝居の練習をしている人もいましたし。ストレスの多いこの世の中で、カラオケの部屋で「バカヤロー」と叫んでもいいと思うんですね。喫茶店での狭い席で、仕事や勉強をするぐらいなら、カラオケの部屋で仕事や勉強をした方がはかどるかもしれません。たまに歌えますし。ちょっとお金は喫茶店よりはかかりますけど。そして、子供から高齢者の方まで楽しむことができるカラオケは、潜在的なビジネスチャンスは大いにあると思います。

白い教会

西城秀樹さんが5月16日に亡くなられて2週間が経ちました。いま改めて西城さんの足跡を振り返る方々も多いようで、今週のオリコンのアルバムランキングでは、12位に「GOLDEN☆BEST deluxe 西城秀樹」(2010年4月28日発売)が、13位に「GOLDEN☆BEST 西城秀樹ベストコレクション」(2012年7月18日発売)がランクインしています。

ぼくが西城さんを振り返る1曲が、「白い教会」という曲です。この作品は1975年10月25日に西城さんの15枚目のシングルとして発売されました。作詞はたかたかしさん、作曲は鈴木邦彦さん、編曲はあかのたちおさんです。たかたかしさんというと演歌の作詞家のイメージがあって、都はるみさんの「浪花恋しぐれ」、五木ひろしさんの「おまえとふたり」、川中美幸さんの「ふたり酒」、坂本冬美さんの「祝い酒」などの大ヒット曲を提供されていますが、西城さんの作品は鈴木邦彦さんとのコンビで「情熱の嵐」、「愛の十字架」、「薔薇の鎖」をはじめとするシングルを作られました。鈴木邦彦さんはものまね番組の審査員の印象がありますけど、昭和40年代の歌謡曲で、黛ジュンさんの「天使の誘惑」や奥村チヨさんの「恋の奴隷」や朱里エイコさんの「北国行きで」といった大ヒット曲を提供しています。でも、皆さんに一番おなじみなのは、「NHKのど自慢」のテーマ曲ではないでしょうか。

1975年の西城さんは、プロマイドの年間総売上が男性歌手部門で初めて1位になりました。そして、11月3日には日本人のソロ歌手として初めて、日本武道館でのワンマンコンサートを行いました。ロックバンドがブレイクを目指す中でよく言葉に出てくる、「いつかは武道館でコンサートをやりたい」のパイオニアも、実は西城さんだったんですね。ちなみに、日本人のグループとしては、1968年にザ・タイガースが新曲発表会を行ったのが初めてになります。

1975年の紅白歌合戦で、西城さんは「白い教会」を熱唱しましたが、登場シーンも最初は白い布で顔を隠して、ライトが当たった瞬間に手を広げて登場するのが、子供心に「かっこいい!」と思ったものでした。「魅せる男性歌手」は当時は布施明さんも衣装を派手にしていきましたが、セクシーでワイルドさを前面に出したのは西城さんがパイオニアだったような気がします。


西城秀樹 白い教会 1975

再会タイムマシン

5月26日、歌手の西城秀樹さんの告別式が行われ、西城さんと共に「新御三家」としての一時代を作った野口五郎さんと郷ひろみさんが弔辞を読まれました。西城さんと公私共に交流のあった野口さんの弔辞は、「ブーメランストリート」から「ブーメランストレート」という新曲を作ってしまった話や、NHKの音楽番組「ふたりのビッグショー」で共演した話や、五郎さんが秀樹さんに曲の依頼をした話をキーワードとして入れながら、どんなときも天真爛漫に話を聞いてくれた秀樹さんの心の大きさや人柄を偲んでいたのが印象的でした。

野口さんも郷さんも「秀樹の代わりはできないけれど、もうしばらく歌い続けるよ」と秀樹さんに誓ったそうです。「新御三家」の3人は60代前半ですが、世の中の60代に比べれば若々しい雰囲気だし、野口さんも声量を維持されているし、郷さんも踊れる歌手として鍛錬されているし、あと10年は大丈夫だと思っています。

ぼくは「新御三家」の中でDAM★ともで歌うことが多いのは野口五郎さんの曲ですが、野口さんの最新のシングルが「再会タイムマシン」という曲でした。この作品は2015年7月29日に、野口さんのデビュー45周年を記念して発売されました。作詞は秋元康さん、作曲は筒美京平さん、編曲は佐橋佳幸さんです。両A面シングルとして収録されたもう1曲「Rainy~会えない週末」は、作詞・作曲をつんくさんが提供されました。野口さんは、「アナログ音楽の頃から活躍している筒美さんの曲と、デジタル音楽で活躍しているつんくさんの曲を、自分が歌うことで時代をつなぎたい」と依頼の経緯を語られていました。

「再会タイムマシン」は今の野口さんの年齢に向き合いつつも、昭和の頃の野口さんの作品とは違う、今ならではのサウンドを作っていて、野口さんの歌だなあというのが感じられます。もう少し、世の中に浸透して欲しかった気はしますが…。


野口五郎 / 「再会タイムマシン」

五郎さんの弔辞は、その文面をもう少し紐解いていきたいなあと思います。秀樹さんと五郎さんが共演した1993年6月21日放送の「ふたりのビッグショー」の動画も、じっくりと何度も見返したい内容です。


西城秀樹 野口五郎 ふたりのビッグショー 1993 06 21