DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

歌の基本の1つは「カバー」にあるというのを聞いたことがあります。カラオケはプロの歌手の歌を、素人がカバーして歌う遊びですし、プロの歌手も、昭和の歌謡界では、外国のロック・ポップス・ジャズ・シャンソン・タンゴ・ハワイアンといった多くの作品をカバーしていました。その後、シンガー・ソング・ライターが登場するようになると、彼らのオリジナル作品を他のジャンルの歌手がカバーして歌ったり、またそのカバーがヒットしたりすると、今度は作品を提供した本人がセルフカバーして歌ったりという動きは、今ではよく見られるようになりました。そういうカバーの中で、物議を醸した曲として有名なものが、竹内まりやさんの代表曲である「駅」です。

この作品は中森明菜さんのアルバム「CRIMSON」に提供するための作品として作られました。作詞・作曲は竹内さんが、編曲は椎名和夫さんが提供されました。椎名さんは山下達郎さんのバンドで長年ギタリストとしても務めた方で、明菜さんの「DESIRE」を編曲し、1986年の日本レコード大賞受賞に貢献をされています。竹内さんは「駅」を作った経緯について、2013年のクリス松村さんとの対談で「頼まれたときから、明菜ちゃんには濡れた哀愁メロディの曲を絶対書きたいと勝手に思っていて、そのマイナーメロディの雰囲気に合わせて、昔の恋人を駅で偶然見かけてすれ違う…というストーリーを彼女の写真を見ながら組み立てていきましたね。歌詞自体は当時の私が歌ってもそんなに違和感のないものだったと思いますけど、マイナーコードであれだけベタな歌謡曲メロディを書いたことはなかったんで、それ自体が面白かった。」「明菜ちゃんの持ってる佇まいやイメージがそういう発想をくれたと思ってます。自分で歌う曲じゃないからこそ、ああいう哀愁メロディにしたわけですから。明菜ちゃんという素材があってこその曲だったと思いますよ。」と言っています。明菜さんの「CRIMSON」は1986年12月24日に発売され、女性が経験しそうな物語をテーマとした歌唱が評価され、1987年の日本レコード大賞で優秀アルバム賞を受賞しました。

ところが、明菜さんの「駅」の楽曲解釈に山下さんが強い憤りを覚え、翌年の1987年に竹内さんにセルフカバーをさせたのは有名な話です。そして1994年に発売された竹内さんのベストアルバム「Impessions」に収載されたライナーノーツでは「提供したアイドル・シンガーが」と名指し同然で明菜さんを酷評しました。後に「あれはシンガーに対してではなく、スタッフに対してのものだった」と弁明をしています。

上手くても下手でも、好きでも嫌いでも、歌の表現は100人歌えばそれぞれ違います。どう歌ったっていいと思います。プロの世界の仕事としていうなら、作品として認めたくないなら、発売前に業界内部でつぶすなり処理できた話と思いますし、発売後8年も経ってから妻のベストアルバムの場でそれを暴露して酷評したのは、今見ても下策だったなあと思います。


竹内まりや 駅 Live音源


駅------オリジナル歌手:中森明菜 中文歌詞

 

ヴォイス

DAM★ともに自分の歌を公開に出すときはぼくなりの基準があって、点数は90点以上で、曲の雰囲気が全般的に出せていて、その日の声の調子から見て、これが一番良く歌えているかな?と思うものを出すようにしています。今までよく歌っていた曲であれば、終了10分前の電話があった後でも、サクッと歌って録音できるんですが、久々に歌う曲とか、初めて挑戦する曲となると、ぼくの公開基準に届くには何度も歌って練習しないと、曲の雰囲気が体の中に入ってこないです。いま何曲か練習してますが、その1曲が、ポルノグラフィティの「ヴォイス」という曲です。

この作品は2001年10月17日に彼らの7枚目のシングルとして発売されました。作詞は新藤晴一さん、作曲は本間昭光さんです。デビューしてから初のバラード作品だったんですが、ボーカルの岡野昭仁さんのパワフルで独特な節回しの歌声が、曲に厚みを持たせているように感じます。

歌詞は、主人公の僕が、いつか出逢うべき誰かを探し続けています。「僕の名前を呼ぶのは誰?」と周りを見渡し、「僕のことを知っているのかい?」と名前を呼んだどこかからの「ヴォイス」に問いかけ、「僕も誰かを探しているんだけれど」と語りかけます。「誰かに逢いたくて 逢いたくて逢いたくて ぼくは此処にいるんだ ねぇそうだろ?」という一節を改めて読むと、インターネットの世界ってまさにこんな感じだなあと思います。DAM★ともSNSですけど、ぼくも他のユーザーさんたちが公開した曲を手掛かりにして、まだ出逢ってない誰かを毎回探しているんですよね。そういう中で、自分が牽き付けられる歌を歌っているユーザーさんに出逢うと、何か宝物を掘り出したような気分になることもありますし、何となくこのユーザーさんとは交流できそうかなというシンパシーを感じることもあります。DAM★ともではお互いの歌を聴くだけなので、お互いにコメントを出せるわけではないんですけど、その歌声から何となくそのユーザーさんのパーソナリティを少しは感じることができます。

さて、「過去がくれたヴォイス 明日に導くヴォイス 君が近くにいる 届くよ」というのが「ヴォイス」の歌詞の最後ですが、この作品は探し求めて迷っているというよりは、前へ向けて進もうという気持ちがこめられていて、深い作品だと思います。ポルノグラフィティの作品は好きなんですけど、こういう目立たない作品の方がアルバムも含めて割といい味を出していると思うんです。切なくて印象深い感じです。

昨年の11月4日にこのブログを始めてから今日で1年が経ちました。どこで見つけていただけたのかわかりませんが、ぼくのブログを読んでいただきありがとうございます。大したことは何も書いてません。DAM★ともで公開した曲について感じたことを基本に書いてますが、思いつかない時は音楽全般について感じたことを書いてます。書くに当たっては間違いがないように色々と調べながら書いてますが、書いている自分自身が雑多な知識を整理するいい機会になって、結構勉強になってます。DAM★とものユーザーさんたちにはぼくのブログを宣伝はしてませんけど、どこかで見つけたらしくて、何となく読んでいただいてる感じがします。でもDAM★とものぼくの公開曲の再生回数は相変わらずな感じ…ですね。ブログももっとアクセス回数が増えてほしいし、公開曲ももっと再生回数が増えてほしい。まだ出逢っていない未来へのぼくの願い…です。

「ヴォイス」を歌っている方の動画です。(ぼくではありません。)


Request Trial 2014 Vol.42 ヴォイス/ポルノグラフィティ(cover)

 

ひばりのマドロスさん~リンゴ追分~人生一路

昭和の戦後の歌謡界を代表する歌手である美空ひばりさん。NHK紅白歌合戦には昭和29年から昭和47年までの間に合計17回出場しました。このうち13回がトリを務め、さらにこのうち大トリが11回、昭和38年から昭和47年までは10年連続トリを務めたという、おそらく今後も破られないだろう、別格の記録を持っています。しかし昭和48年、ひばりさんの実弟のかとう哲也氏の不祥事・逮捕を機に、ひばり一家山口組(当時の田岡組長)との関係が今更取り沙汰され、社会的なバッシングを浴びるようになると、NHKはひばりさんをその年の紅白歌合戦の出場者から外しました。以後ひばり一家は「家族の絆を守る」としてNHKとの関係を断絶し、翌年の大晦日からは日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が用意した「美空ひばりショー」への出演を続けました。昭和52年になるとNHKは「ビッグ・ショー」(この番組に出演することは、一流歌手になったことの証明とも言われました。)への出演をひばりさんにオファーし、ひばり一家と和解しますが、紅白歌合戦への出場打診に対しては拒否を続けました。そして、昭和54年、第30回紅白歌合戦に当たって、NHKは美空さんに「特別出場として、戦前の代表歌手として藤山一郎さんにもご出場いただくので、戦後の代表歌手として出場してほしい」と打診、「その趣旨なら」と美空さんは出場を了承しました。そして当日、メドレーとして歌われたのが、「ひばりのマドロスさん~リンゴ追分~人生一路」でした。

Youtubeで当時の映像を振り返ると、昭和40年代までのひばりさんは「歌謡界の女王」として堂々たるものでしたが、昭和54年の紅白では余裕のある柔和な表情を見せて、全く曲調の違うこの3曲を実に上手く歌い分けて、そして存在感のある迫力あるステージを見せました。やはり紅白では気合いが入るようで、「人生一路」でのノリの凄さは、他のステージでの歌唱とは群を抜いて違っていたように思います。天童よしみさんもひばりさんの歌をうまく歌われてはいますが、迫力やノリの凄さは、普通の歌手にとっては「乗り越えられない壁」なのかもしれません。

美空ひばりさんの歌い方は、歌のシメの部分を堂々とキメて歌い納めるというか、ある種歌舞伎の大見得を切るようでもあるんですが、より特筆すべきは、音感の良さ、耳の良さ、リズム感の良さにあったのではと思っています。ひばりさんの映像を見ると、バンドが音を間違えたりすると瞬時にその方向を見るというシーンがあったり、演奏が自分の歌に合わないと思うと、自分が歌いながら指揮でもするかのようにピッチを上げさせるように誘導したりするシーンがあったりします。バンドを自分の思いに動かせるのは美空ひばりだからだと思います。

昭和54年の紅白での美空ひばりさんの映像は、彼女を知らない世代の人たちにとって、とっかかりやすい内容だと思います。


ひばりのマドロスさん~リンゴ追分~人生一路 美空ひばり

Time To Say Goodbye

とある外国の都市の、教会と裁判所の間にある広場で、たぶんオペラ歌手の若手とおぼしき男性と女性が、素晴らしい歌声で有名な曲を歌っている場面に出くわしました。最初は口パク?と思ったんですが、女性の歌手が途中でくしゃみをして歌声が途切れたので、「本当に歌ってるんだ」と確信し、2人の歌唱力に聴き惚れてしまい、周りの観光客の人たちも思わず足を止めてしまうほどでした。歌が終わると、多くの人たちが拍手をすると共に、箱に次々とお金を入れていきました。ぼくも2ユーロ入れました。彼らが歌っていた1曲が「Time To Say Goodbye」でした。

ぼくも最初この曲名が思い出せなかったんですが、この作品はもともと「Con Te Partiro」(コン・テ・パルティオ)というイタリア語の曲として生まれ、1995年2月のサンレモ音楽祭で、イタリア人のテノール歌手Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)の歌によって初めて披露されました。母国のイタリアでは当初あまりヒットしないんですが、フランスとスイスではチャート1位となり、ベルギーでは歴代最多枚数の大ヒットとなりました。

その後、1996年にイギリス人のソプラノ歌手 Sarah Brightman(サラ・ブライトマン)がボチェッリにこの作品のデュエットを申し出たことにより、歌詞の一部をイタリア語から英語に変え、曲名も「Con Te Partiro」から「Time To Say Goodbye」に変更して発売しました。すぐにヨーロッパ全土で爆発的な大ヒットになり、シングルが1,500万枚以上、アルバムを含めても2,500万枚以上の世界的な大ヒットとなりました。

日本では、サラ・ブライトマンが1991年の紅白歌合戦に出場し「オペラ座の怪人」を歌唱した知名度もあって、彼女の作品として知られるようにもなったほか、2011年に放送されたドラマ「外交官黒田康作」の主題歌として、この作品をイギリスのボーカル・グループ Il Divoイル・ディーヴォ)が歌っていますので、彼らもこの作品の歌い手として外国では知られています。

1990年代から、クラシック音楽とポピュラー音楽を融合した、クロスオーバーのサウンドが作られるようになり、クラシカル・クロスオーバーと今では呼ばれていますが、この作品はこのジャンルを確立したパイオニアともいえます。

さて、ぼくが2ユーロを入れた男性と女性の歌手は、結構満足そうな笑顔を見せて、石畳の街を歩いていきました。歌えると結構いいバイトだなあと思いました。日本は路上で歌う歌手の歌をしっかりと聴く姿勢はまだまだなのかなあ。特定の歌手のファンだけが集まるというのではなくて、通りすがりの人たちが足を止めて歌を聴けるような空気がもっと醸成されていったらいいなと思います。

ボチェッリとサラのデュエット、イル・ディーヴォのハーモニー、どちらも秀逸だと思います。


Andrea Bocelli, Sarah Brightman - Time To Say Goodbye (HD)


Il Divo - Time to Say Goodbye (Con Te Partirò)

 

 

さらさら

更新が空きましたが、この間ちょっと外国に行ってきました。約12時間のフライトはいかに時間を過ごすかがいつものぼくの課題なんですが、機内のオーディオのJ-POPが充実していたので、退屈せずに済みました。聴きまくった曲の中で初めて知った曲も多かったんですが、その1曲がスピッツの「さらさら」という曲でした。

この作品は2013年5月15日に彼らの38枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲はボーカルの草野正宗さん、編曲はスピッツ亀田誠治さんです。亀田さんというと2013年から2016年までNHKのEテレで放送した「亀田音楽専門学校」のイメージがあって、ぼくも時折見てました。アーティストをゲスト講師に呼んでましたが、スピッツはゲストでの出演はありませんでした。

機内でスピッツのベストアルバムを聴いていたんですが、音声が聴けた10数曲の中でぼくがこの作品を気になったのは、いくつかありました。メロディーがアップ・テンポで耳に乗りやすかったということもあり、初期の頃の曲の雰囲気も感じて、でも最後のサビ前のCメロあたりは今まで聴いたことのあるスピッツとはちょっと違うなと感じながら、面白い曲だなと思いました。一方、歌詞の言葉は牽き付けられるフレーズがいくつかあって、「素直になりたくて言葉を探す」っていうのは今のぼくでもあるんですが、「何かあるようで何もなくて 雨の音だけが部屋をうめていく」というのは、何か答えを探しているけど見つからなくて、理想と現実のギャップとかゆがみが埋められない主人公の姿。「だから 眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ 見てない時は自由でいい」の「だから」が最初はちょっと繋がらなかったんですが、何か相手を束縛してしまった反省もしつつ、でも相手にすがりたいそんな心の弱さも見せたり。2コーラスの歌詞で「遠く知らない街から 手紙が届くような ときめきを作れたらなあ」という歌詞があって、外国で絵ハガキを買って、「いま、**に来てます。とってもいい街だから、今からこっちに来ませんか?」みたいなことを書いて、日本に送ってみたみたいなことを考えてしまいました。大体、帰国後に一緒に手紙を見るなんてことになりそうですが。Cメロの歌詞も結構不思議な言葉が続きますが、「夢オチじゃないお話 100度目の答なら 正解 正解」というのがあって、2人で悩みながら正解、これは人生の理想を探すために一緒に生きていこうよという主人公の願いなのかなと。

でも何で、曲名が「さらさら」なのかなって。物が軽く触れ合ったり、小川の水が軽やかに流れたり、湿り気がなくて乾いた感じが「さらさら」なんだと思いますが、これって、激動の都会の生活の喧騒の中でひっそりと見つけた静寂とか、オーディションに集まった、合格しようという人たちの中にひっそりといる逸材みたいなことなのかなと。聴けば聴くほどいい味が出る曲をぼくは「スルメ曲」って思ってるんですが、この作品もぼくの「スルメ曲」になりそうな気がします。


スピッツ / さらさら

 

オリジナルスマイル

DAM★ともでほくがお気に入りのアーティストにしているSMAPSMAPが解散してから10か月が経ちましたが、彼らの強みは、アイドルでありながら偶像の世界を生きるのではなく、むしろ世の中で生活している人たちの感覚に寄り添って、恋の悩みも仕事の悩みも生活の悩みも受け止めて、そんなテーマを作品に仕上げていったことにあると思います。それと、まだ無名な作詞家や作曲家を起用して、新しい音楽を作って行こうとする姿勢は、最後まで続けられたと思います。ビクターエンターテイメントの方々の努力はものすごいものがあったと思います。そういうSMAPの作品の中でも、とりわけSMAPらしく思える1曲が「オリジナルスマイル」という曲です。

もともとは「オロナミンC」のCM曲として、サビの部分だけが放送されていましたが、雑誌やラジオ番組でも問い合わせが殺到したこともあり、もともと曲名もなく、CD化の予定もなかったんですが、1994年6月6日に13枚目のシングルとして発売されました。作詞は森浩美さん、作曲はMARK DAVISこと馬飼野康二さん、編曲はCHOKKAKUさんです。作詞の森さんはSMAPのデビューから多くの作品を彼らに提供していますが、なかなか売れず苦しんでいた彼らを応援したいという気持ちから、この作品の歌詞を書いたそうです。SMAPが初めてシングルで1位を取れたのは12枚目のシングル「Hey Hey おおきに毎度あり」で、やっと当時の6人のメンバーの顔が世の中に知られてきた頃でした。その歌詞を読むと、森さんがSMAPに手紙でも書いたような内容です。歌詞の中で「だけど便利な近道なんかはなくて 小さくまとまっても面白くないし ゆれる心 鍛えられないぜ」とか「山程ムカつくことあるけど 腐ってたら もうそこで終わり」なんて、芸能界での戒めでもあり、社会で生きる我々にも思い当たることがたくさんあります。森さんはただ元気なだけではなく、反骨精神をSMAPのメンバーに感じたらしく、そこが彼らに合っていると思ったそうです。

「オリジナルスマイル」は2012年の紅白歌合戦でも歌われましたが、SMAPの曲としては初めて、高校の音楽の教科書に掲載されました。授業で歌うなんて、いい時間ですねえ。そして、「SMAP×SMAP」の最終回放送のCMで、ソフトバンクが、過去にSMAPが出演したCMをまとめた「1回限りの特別編」のCMを流し、そのBGMは「オリジナルスマイル」でした。スマスマでは原曲からキーを下げて歌うこともありましたが、その歌が、今の年齢のSMAPに合っているなあと感じ、もし今後SMAPで歌う機会があったとしたら、ぜひ歌ってほしい1曲です。


ソフトバンクCM「SoftBank→SMAP」スマスマ最終回、感動のオリジナルスマイル

Together When…

2000年代の日本の歌謡界を牽引していたボーカリストである浜崎あゆみさん。浜崎さんのヒット曲は数多くありますが、その中でぼくが興味を惹かれた1曲が「Together When…」という曲でした。

この作品は2007年12月5日にデジタル・ダウンロードシングルとして発売されました。デジタル・ダウンロードとは、インターネットを通じて楽曲を配信する方法で、通常のCDシングルによる発売とは異なります。そのためか、この作品は通常のシングル・コレクションとは別になっています。ただ、ジャケットとミュージック・ビデオが作られ、浜崎さんも当時の音楽番組でこの作品を歌唱しています。そして、2007年の紅白歌合戦ではこの作品を歌唱しています。紅白歌合戦での歌唱曲はNHKから事実上決められることが多いんですが、当時最盛期だった浜崎さんは逆にNHKに「この曲を歌いたい」と言えたんだと思います。

作詞は浜崎さん、作曲は多胡邦夫さんで、木山裕策さんの「home」を作詞・作曲されたり、オーディション番組「歌スタ!!」のハンターもされていました。編曲はCMJKさんで、この方は電気グルーヴに加入していた時期もあるので、ピエール瀧さんの弟さんみたいな雰囲気があり、テクノ・ポップス系の方かなと思ってたんですが、色々なアーティストの作品の編曲をされています。ぼくはSMAPの「Mistake!」の編曲をされた方という印象でした。しかし、この「Together When…」はかちっとしたバラード曲で、avexのロック・サウンドの路線とは異なります。ミュージック・ビデオも静的な雰囲気の穏やかな表情を演じる浜崎さんが出てきて、歌詞も離れてしまった大切な人への思いを歌った内容ですね。「僕達は 心に同じ 傷跡を残しながら」とか「いつかまた僕は僕に生まれ変わって」とか、歌詞の言葉が「僕たち」とか「僕」なんですよね。だからこの作品は男性が歌ってもしっくりくるのかなと思って、DAM★ともで公開したことがありました。「愛してると言いたかった 愛してると言えなかった だけどそれは僕の最大の 嘘であり真実だった様な気がする」って、この当時の浜崎さん自身の出来事を言い当てているようなフレーズなのかなとも思いますし、それはおそらく、きっと誰もが経験したことを言葉にして歌ってみて、聴いた人たちの共感を得ていきながら、歌は多くの人に歌われていくものだなということを感じます。


Together When...