DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

どんな僕でも

テレビを見ていると風景の映像に合わせて、いろいろなアーティストの音楽をBGMに乗せたりするのが深夜とか、あるいは番組と番組の間に放送したりするんですが、結構ここで音楽を聴くのが好きで、知らなかったアーティストさんを知るきっかけにもなっています。今回紹介する、MOLE HiLL(モールヒル)というバンドの作品も、J:COMチャンネルを見ていて、東京の上空からの風景が流れる中で、何曲か流れているのを聴きながら、惹きつけられるものを感じました。

彼らのHPを見てみたら、2002年に結成された京都を本拠にしているバンドですが、活動は全国で行っているそうです。2016年7月20日に、1stフルアルバム「Time」を発売し、ぼくが聴いたのはこのアルバムに収録されている曲だったようです。このアルバムでは阿久津健太郎さんをサウンドプロデューサーに迎えたそうです。阿久津さんというと、妹さんとのデュオ「ZERO」で活躍し、1996年に「ゼロから歩き出そう」がヒットしたのを思い出します。

さて、MOLE HiLLの作品を聴いて思ったのは、ボーカルの新大作さんの歌声が聴いてるぼくの側にも届いてるなあと感じたことです。ぼくはカラオケは好きですけど、カラオケバトルみたいな番組は見たいとは思わないんです。アマチュアの人もプロの歌手も点数を競うゲームなんだと思いますが、そこで「自分は歌が上手いんだ」と思いながら自信たっぷりに歌っている人の歌、ぼくは全然そういう歌に惹かれないんです。音程も確かで綺麗な声で歌っていて、完璧なはずなのに、何かが足りないと感じてしまうんです。

だから、売れる歌手は必ずしも歌唱力があるとは限らないわけですが、その代わりに自分の歌の持ち味を表現しようとする力が優れているのかなと思います。

ぼくはMOLE HiLLの作品の中では「どんな僕でも」という作品が気に入ってます。早くDAM★ともで歌える日が来ればいいなあと思っています。


【LIVE】 MOLE HiLL / モールヒル 「どんな僕でも」@池袋サンシャインシティ噴水広場 [公式]


【全曲試聴】MOLE HiLL/モールヒル 「Time」ダイジェスト【2016/7/20発売】

黄金の月

ぼくがDAM★ともであまり歌わないアーティスト、平井堅さんに続く2人目はスガシカオさんです。スガさんの作品は歌詞も楽曲も好きなものが多いんですが、スガさんのファンクなリズムにはついていけても、高音にはぼくもついていけません。そんなぼくが何とか歌えたのが、1997年5月にスガさんの2枚目のシングルとして発売された「黄金の月」という曲です。

スガさんを初めてテレビで見たのが、当時NHKで放送していた「ポップジャム」という番組で、スガさんの4枚目のシングル「愛について」が「ポップジャム」のエンディングソングになっていました。ちょっとハスキーな声から歌われる、ちょっとチクッとくる言葉や、何となく暗めな曲なのになぜか前向きになっていくサウンド、当時は珍しかったカタカナのアーティスト名とか、ぼくの中では気になる存在になっていきました。初期のアルバム「Clover」や「FAMILY」を聴く中で「黄金の月」に出くわして、その後、DAM★ともでもスガさんの曲を公開しているユーザーさんの歌を聴いて、親しみを持つようになりました。

スガさんの書く歌詞は、詩的というよりは文学的な感じです。「黄金の月」の歌詞の主人公は、大人になって、自分を偽れる力を持ったけど、いざというときに大事な言葉を吐き出せなくて、情熱は今や闇を背負ってしまっている。ぼくが好きな歌詞の一節は次に続く「そのうすあかりの中で 手探りだけで なにもかも うまくやろうとしていた」「君の願いと僕の嘘を合わせて 6月の夜、永遠を誓うキスをしよう」というところです。彼女の願いに僕は向き合ってはいない。でも彼女をいつも頼りにしているのは僕の方で、「そして 夜空に 黄金の月を描こう」と自分が生きていくパワーを求めているんですね。自分にどこか正直になれない僕は、「嘘から出たまこと」によって、本当の愛に向き合えていけたのかもしれません。このあたりが前向きになっていく作品に感じられるのかもしれません。20代から30代にかけてのもどかしさやほろ苦さの表現は秀逸だなと思います。シングルのセールス的にはさほど売れなかった「黄金の月」ですが、多くの人に歌われて、今ではスガさんの代表的な作品の1つになっています。


黄金の月 - スガ シカオ(SUGA SHIKAO)

シルエット・ロマンス

前回、秋元順子さんの「愛のままで…」を紹介したときに、似ているとよく書かれるのが大橋純子さんの「シルエット・ロマンス」ですが、ぼくは似て非なるものだと思うと書きましたので、今回は「シルエット・ロマンス」を紹介します。

女性向けの恋愛小説が一定に人気があった当時、サンリオがアメリカのシルエット社と契約し、1981年9月に「シルエット・ロマンス」というレーベルを立ち上げることになり、そのイメージソングとして作られたのが「シルエット・ロマンス」でした。作詞は来生えつこさん、作曲は来生たかおさんというニューミュージックを代表する黄金コンビの姉弟です。この作品を歌うのが大橋純子さんということは決まっていたこともあり、来生たかおさんは大橋さんの歌唱力を見込んで、サビの部分を結構難しいメロディーラインにすることができたので、「これは売れる」と確信したそうです。一方、来生えつこさんは、自分の歌詞に過度な情感を込めてほしくなかったという思いがあったので、レコードの録音に使用したのは大橋さんがまだ歌い慣れ始めるあたりのテイクだったそうです。ただ、これはちょっと無理な注文だと思いますし、大橋さんが「シルエット・ロマンス」を歌いあげてしまうのは間違いなかったわけですから。また、大橋さん自身は当時歌手の休業を考えていたので、自分を忘れて欲しくないため、「絶対にヒットさせよう」と思ったそうです。本当に三者三様の思いがあったわけです。

1981年11月5日に大橋さんのシングルとして発売した直後は売れませんでしたが、1982年に入ってからチャートが上昇していき、5月にはベスト10入りしました。1982年のオリコン年間18位となり、同年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞をニューミュージックの歌手として初めて受賞しました。大橋さんはこの当時は北島三郎さんの北島音楽事務所に所属していましたが、なぜかこの年の紅白歌合戦に選ばれなかったのかは今でも疑問です。

さて、来生姉弟の作風は、都会的であるけど派手さはなくて、どこか落ち着きのあるメロウな感じがします。来生えつこさんの書く歌詞は、情景が具体的に現われていて、きれいな言葉を使っています。「恋する女は 夢見たがりの いつもヒロイン つかの間の」とここは小説レーベルの宣伝に気を使いつつも、恋愛小説を読みたい女心を言い当てています。「鏡に向かって アイペンシルの 色を並べて 迷うだけ 窓辺の憂い顔は 装う女心 茜色のシルエット」は、男には永遠にわからない女性の微妙な揺れ動く心なんでしょうね。愛する男性と会う前の午後4時ぐらいの景色が「茜色のシルエット」なのかな。「ああ あなたに 恋心盗まれて もっとロマンス 私に仕掛けてきて ああ あなたに 恋模様染められて もっとロマンス ときめきを止めないで」でサビを締めくくると、歌詞としては完璧な仕上がりじゃないかと思います。

大橋さんは持ち前の歌唱力で、この作品を歌い上げますが、来生たかおさんは、いつもそうなんですが、淡々ともさっとした感じで歌いながらも、じわじわと情感が伝わってくる歌い方で、実に対照的なんですが、1つの作品には色々なアプローチがあることを教えてくれます。

この数年後、来生たかおさんはポール・モーリアのプロデュースでアルバムを制作します。ポール・モーリアはそれまで日本人からのプロデュースのオファーは断っていたそうですが、来生さんの作曲について「一見シンプルだが、人の耳を惹きつける、明快でロマンティックな音楽を創っている」と評し、「フランスにはなく、日本らしさを持っている」と、自分の編曲との波長が合うと感じられたそうです。今から思うと、来生さんの作品は、日本のポピュラーとしてスタンダード・ナンバーになっている作品が多いです。「シルエット・ロマンス」も今では多くのアーティストがカバーしています。


大橋純子 - シルエット・ロマンス


来生たかお - シルエット ロマンス


Paul Mauriat & Orchestra - Silhouette Romance w Takao Kisugi (Live, 1984)

愛のままで…

DAM★ともで色々なアーティストの色々な作品を歌えるのが楽しいように、歌の世界も色々なジャンルの方が登場した方が視聴者としては面白いです。今から9年前の2008年、大人の歌を歌える女性歌手としてテレビに登場するようになったのが秋元順子さんです。

秋元さんは若いころから音楽活動をされていたそうですが、ご結婚を機にご主人と共にお花屋さんを経営されていました。子育てが一段落してから再び音楽活動をするようになり、57才で「マディソン郡の恋」でインディーズデビューを果たし、58才でメジャーデビューを果たしました。そして秋元さんが3枚目のシングルとして2008年1月23日に発売した「愛のままで…」は徐々にチャートの順位を上げていき、12月には初めて10位以内にランキング、その年の紅白歌合戦に61才6か月で紅白歌合戦初出場を果たしました。「アラ還(暦)の星」と称された話題性もあり、2009年1月26日に発売52週目で1位を獲得する快挙となりました。

秋元さんを最初にテレビで見た時は、シャンソンかジャズの方かなと思ったんですが、若い頃はハワイアンをされていたそうです。歌がしっかりしているというか、中低音の声質を生かした、年齢の割には伸びのある歌唱力が持ち味だと思います。「愛のままで…」をはじめ、秋元さんの作品の作詞・作曲・編曲をされているのが花岡優平さんです。花岡さんは「音つばめ」というフォークグループを組んでいて、高田みづえさんが1982年にカバーした「愛の終りに」という作品を作詞・作曲したのが花岡さんです。高田さんの作品の印税が自分の稼ぎよりもあまりにも多かったと感じた花岡さんは以後、作曲家の道に進まれるよう決意をされたそうです。

「愛のままで…」についてはよく言われることですが、大橋純子さんの「シルエット・ロマンス」と似ているという話があります。ぼくも比べて聞いたときはそう思いましたけど、似て非なるところもあるかなと思います。オリジナルである花岡さんの「愛のままで…」はギターで弾き語りして歌っていて、一方「シルエット・ロマンス」の来生たかおさんはピアノで弾き語りして歌っているんですが、ギター曲とピアノ曲ってやっぱり作曲観が違うのかなと感じます。たぶんそれが、女性のボーカリストが歌うのでかちっと編曲していくに当たって、2つの作品が近接してしまったんじゃないかなと思っています。

60才近くで歌手デビューして、紅白歌合戦に出場できるのはミラクルなことで、歌手になりたい人たちにとって一筋の道を切り開いた秋元さんの功績は大きいと思います。


秋元順子 愛のままで…

哀歌(エレジー)

DAM★ともで色々なアーティストさんの曲を歌っていますが、意外と歌っていないのが平井堅さんの作品です。ぼくが平井さんの作品でDAM★ともで公開したことがあるのは「哀歌(エレジー)という作品です。

この作品は2007年1月17日に平井さんの25枚目のシングルとして発売されました。作詞と作曲は平井さん、編曲は亀田誠治さんです。渡辺淳一さんの長編小説「愛の流刑地」を映画化して、豊川悦司さんと寺島しのぶさんの主演で公開することになり、その主題歌を依頼されて、平井さんは原作と映画の脚本を元に「哀歌(エレジー)」を作っていったそうです。

愛の流刑地」は、かつて売れていた小説家が、紹介されて出会った人妻と次第に激しい恋に落ちていく話で、人妻が情事のときに「私の首を絞めて殺して」とよく言っていたのを、本当に殺してしまうんですね。逮捕された小説家は裁判所で罪状を語っていくという、いかにも渡辺先生の得意分野のような筋書きとなっています。

歌詞の世界もこの人妻・冬香の目線なんですね。「ひらひら 舞い散る 花びらがひとつ ゆらゆら 彷徨(さまよ)い 逝き場をなくした」という表現は、一線を越えて、後戻りできなくなった男女をうまく表していると思います。「汗ばむ淋しさを 重ね合わせ 眩しくて見えない 闇に落ちてく いつか滅び逝くこのカラダならば 蝕(むしま)ばれたい あなたの愛で」という表現も、明るい愛ではなくて、いつかは滅びゆくはかなさを感じてしまう哀しい愛を暗示しています。女性の情念はすごく深いんですけど、石川さゆりさんの「天城越え」の女性は愛を貫いていこうとする強い女性であるのとは対照的なものを感じます。

平井さんはこの作品が初めて女性目線で書いたものらしいです。でも作成の過程で結構ストレスが溜まったのか、「哀歌(エレジー)」のリリースの1か月後に、次のシングル「君の好きなとこ」を発表します。こちらは前作の余韻もないほどポップな作品です。

DAM★ともで歌っているとき、平井さんご本人がPVに出られていた記憶があります。その動画は探せなかったんですが、「哀歌(エレジー)」の雰囲気を出されている方の歌をご紹介します。(ぼくではありません。)


歌ってみた 哀歌(エレジー) ~Cover~

女優

日本の女性ポップス歌手の中でデビューの頃から歌唱力に定評があったのが岩崎宏美さんです。岩崎さんは「ロマンス」、「思秋期」、「すみれ色の涙」、「聖母たちのララバイ」などの大ヒット曲を多く持っていますが、ランキング的には10位~20位の中ヒットの作品でも、印象に残る曲を多く持っています。その1曲が、1980年4月5日に発売された「女優」という作品でした。作詞はなかにし礼さん、作曲・編曲は筒美京平さんです。歌詞の内容は、たぶん駆け出しの女優が、相手役の俳優に好意を寄せながら、そんなに得意ではないキス・シーンやラブ・シーンを前に、相手に嫌われないように真剣に演じようとする思いを描いています。そしてこれは女優と俳優に限らず、女性が、付き合っている男性に嫌われないように、男性を懸命に愛そうとする姿も重ねています。

思えば役者さんたちも仕事とはいえ、好きでもない俳優や女優とキス・シーンやラブ・シーンを演じなければならないのは、大変ですよね。歌詞のように心が繊細な女優さんはおそらくいなくて、半ば男勝りだったりしないと、芸能界では生きていけないんだろうと思います。

さて「女優」のイントロは、「アクトレス ルルル…」というバックコーラスから始まります。こういうちょっと面白いバックコーラスは、昭和の歌謡曲には結構あったと思います。当時の岩崎さんの声は透明感があって、まっすぐ貫くような強さがありました。「明るすぎるわモンシェリ 少しライトを弱めて 時々外を通る車の光が素敵」で思い出しましたが、富士重工業(スバル)の「レオーネ」という車のCMソングに起用されていました。アクトレス(Actress。女優)は英語なんですけど、モンシェリ(mon chéri 。私のいとしい人)はフランス語なんですね。楽曲は岩崎さんの声量の伸伸びをうまく生かした、オーソドックスな作り方をしていると思います。

DAM★ともをやっていて、喉の調子が悪いときとか高音が出にくいときは、女性のアーティストの曲を歌っていますが、音程のフラットを修正したいときの練習に、岩崎さんの作品を歌うと、岩崎さんの歌い方を思い出しながら、音階を正しく、歌詞をはっきりと言うように、気を付けられる感じがします。それにしても、昭和の歌謡曲は色々な引き出しがあって面白いです。


岩崎宏美 女優 (紙吹雪)

原宿キッス

現在のジャニーズ事務所の隆盛のパイオニアとなって活躍した田原俊彦さん。トシちゃんのヒット曲はたくさんありますけど、その1曲として今回は、1982年(昭和57年)5月8日に発売された「原宿キッス」を紹介します。作詞は「ハッとして!Good」を提供した宮下智さん、作曲は筒美京平さん、編曲は船山基紀さんです。

この当時、田原さんはシングルでなかなか1位が取れず、当時の音楽番組は「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」というランキング番組が超人気な状態でしたし、ライバルの近藤真彦さんは発売するシングルが毎回1位を取っていたので、田原さんもポニーキャニオンの人たちもやや歯がゆい思いだったかもしれません。まあ、良い言い方をすれば、当時のオリコンは芸能事務所やレコード会社の圧力に屈せず、公平なランキングをしていたのだと思います。田原さんのプロデュースはデビューからずっと、ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんが手掛けていました。田原さんの楽曲は。田原さんが踊りながら歌うスタイルでしたから、サウンドも軽快なものを選んでいたと思いますが、歌詞も宮下智さんの作品をはじめ、今までの歌謡曲には出てこなかったような、軽い言葉を使っているように思います。当時の田原さんの声質を生かしているようにも思います。「AH- どっちがいい なんでもいいから 一度お願いしたい Woo 恋し恥ずかし 原宿キッス」とどこまでも軟派な男子を描いています。

ジャニーさんの意向があったのかはわかりませんが、前作の「君に薔薇薔薇…という感じ」に続き楽曲を担当した筒美さんは、「原宿キッス」では転調したり、音階がコロコロ動いたりと、難解なサウンドを作っています。近藤真彦さんの楽曲は割に王道的な歌謡曲のサウンドを続けていたのに対し、田原さんの楽曲は今から思うと、どこか試していたというか、実験的に作詞も作曲も作っているように感じます。トシちゃんはあの頃歌が下手だと言われましたけど、いまyoutubeで動画を見ていても、歌いながら踊っていても息も切れていないし、低音は確かにふらつくけど、高音は割に伸びていたんだなと思います。今のジャニーズのタレントのように、口パクで済ますのではなく、ガチでやっていて、難解な歌を歌わされているんですから、よくやっていると思います。

当時の原宿は路上で踊る「竹の子族」というのが流行って、竹下通りは中学生・高校生で賑わっていました。ジャニーズ事務所もこの頃は小所帯で、原宿駅近くのマンションに合宿所がありました。田原さんにとっても原宿は思い出が多い街だと思います。


原宿キッス