DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

小さな旅

NHKで「小さな旅」という紀行番組がありまして、1983年4月8日の「いっと6けん小さな旅」の放送開始から、この4月で35年目に入る、いわば隠れた長寿番組です。この番組のオープニングとエンディングがとても心が落ち着いて、安らぐ感じのいいメロディーなんですが、実はこのメロディーに歌詞を付けて、岩崎宏美さんが1986年6月21日に「小さな旅」という作品を発表しています。

オープニングとエンディングの曲は「光と風の四季」という曲名で、大野雄二さんが作曲しています。この大野さんの曲をベースに、作詞は山川啓介さんが作られ、編曲を奥慶一さんが作られました。岩崎さんと山川さんの組み合わせというと、「聖母たちのララバイ」や「家路」という岩崎さんの代表作があります。奥さんは岩崎さんの「決心」を作曲されましたが、編曲家としても、研ナオコさんの「泣かせて」や高橋真梨子さんの「桃色吐息」など、印象に残る個性的な作品を提供されています。

「小さな旅」の山川さんの歌詞では、ひとり旅をするなかで、離れている相手を恋しく思い、その中で相手を愛する自分の気持ちを確認して、家路に帰る姿を表しています。

人恋しく思うさまを「風の中に 声がして ふりむいたけど まぶしい海だけ」とか、
愛する気持ちを「夕映えと夜空が 抱き合うみたいに ふたつの 生き方を重ねたい」とか、表現が秀逸だなあと思いました。

セールス的にはヒット曲とはいえませんが、DAM★ともでも歌うことができるので、ぼくもたまに歌っています。「小さな旅」は子供の頃から見てましたが、2010年から全国放送になっていたとは知りませんでした。たまには番組で岩崎さんの「小さな旅」も流したらいいのにと思います。


岩崎宏美 小さな旅

 

 

春の空

今年の東京の桜は開花宣言は早かったんですが、天候がいまひとつだったので満開になるまでにすごく日数がかかりました。でもその分、今週になっても桜の花を見ることができました。葉桜も見えてきて、間もなく新緑の季節の到来を予感させます。

コートも着なくてすむようになった、穏やかな晴れの日が数日続きました。そんな春の空を見て思い出したのが、森山直太朗さんの「春の空」という曲です。

この作品はインディーズ時代に製作されたものですが、当時CMのBGMにも採用されたそうで、視聴者から「あの曲は誰が歌っているのか」とか「何という題名の曲なのか」といった反響があったそうです。

時間にして2分弱、歌詞も短いです。

 春の空 ふと見上げて思った 私の小ささを
 今日もあるがまま なすがまま おもむくまま
 この夢 風に乗せて
 Ilove you……
 気付いて……

でも聴いたインパクトがあって、素晴らしい感性をもともと直太朗さんは持っていて、無理な節回しはせずに、自然体で歌を歌えるんだなと思いました。一節歌って上手いと思えるのがプロの歌手だと思います。それにしても、インディーズにしてこういう作品が作れるのは、やはり森山良子さんのDNAが入っているからなのかなと思いました。

この「春の空」は後に、やはりインディーズ時代に製作された「時の行方」と組み合わされて、2005年2月23日に7枚目のシングル「時の行方~序・春の空」として発売されました。でもぼくは元歌の方が好きです。DAM★ともで歌えることが最近わかったので歌ってみようと思います。


春の空 直太朗 (インディーズ時代) - Spring sky - Naotaro

おもいでの岬

昨日、歌手のペギー葉山さんの突然の訃報に接し、大変驚きました。ここ1~2年、ペギーさんが懐メロ番組で「学生時代」を歌っているお姿をテレビで拝見すると、往年の歌声はなく、さすがに歌のテクニックを駆使しても声の衰えが見えているように感じていました。もともとプロ意識や美意識の高い方とお見受けしていましたので、ご本人は悔しい思いをしているんじゃないかと思っていました。

とはいえ、昭和を代表する歌手の1人であることに変わりはありません。ペギーさんはアメリカのポピュラー音楽に魅かれて、進駐軍で歌っていたのがきっかけで、1952年に「ドミノ/火の接吻」でデビューしました。本職はポピュラー・ジャズの歌手だったんですが(決して演歌歌手ではありません。)、1958年に「南国土佐を後にして」の大ヒットによって(ペギーさんは歌謡曲は歌いたくなかったそうですが)、大衆歌手としてもトップに登りました。紅白歌合戦に通算14回出場し、1966年の紅白歌合戦では紅組司会を務めました(当時はNHKの意向で歌手としての出場は認められませんでした。)。

この他にも、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌であった「ドレミの歌」の日本語訳詞を作られて、「ドレミの歌」を日本に広めたことや、「歌はともだち」、「ひらけ!ポンキッキ」、「ウルトラマンタロウ」でのウルトラの母など、子供向けの番組への出演も意欲的に行っていました。

先ほどまでYoutubeでペギーさんの作品を何曲か聴き続けていましたが、ぼくも知りませんでしたが、過去のヒット曲だけに囚われず、2010年以降もコンスタントに新曲を発表していたことに驚きました。2010年に発売した「夜明けのメロディー」(作詞は五木寛之さん、作曲は弦哲也さん)はNHKのラジオ番組「ラジオ深夜便」でのオンエアをきっかけに、39年ぶりにオリコンチャートに入る快挙を果たしました。2012年には歌手活動60周年記念として「結果生き上手」(作詞は小椋佳さん、作曲は弦哲也さん)を発表しました。そして、昨年2016年には「ラジオ深夜便」10月~12月のテーマ曲として、「おもいでの岬」を発表しました。「おもいでの岬」は、ぼくがDAM★ともで長年お互いに聴き合っているユーザーさんが歌って公開したことがあるので、いい曲であることは知っていました。実はこの3曲とも、ペギーさんが70代や80代の今だからこそ歌える、人生を振り返りつつも明日へ向かって前向きに、無理なく進んでいこうという気持ちで歌われていて、楽曲としても良い作品であると思いました。

日本の音楽シーンの配信はやはり偏りすぎていることを改めて感じました。これは今の日本のテレビドラマにおいても同様ですが、世代とかジャンルとかでごく一部のゾーンだけに焦点を当てていた結果が今の惨状を生んでいるのでありまして、全ての垣根をとっぱらって、視聴者にエンタテイメントを届けることが肝要ではないかと感じました。

ペギー葉山さんのブログも読みました。3月30日にも更新されていて、生き生きと過ごされていたこと、今年は歌手生活65周年を迎えることなど、ますます今後への抱負を書かれていました。それだけに、無念はいかばかりかと存じます。ペギー葉山さんのご冥福をお祈り申し上げます。合掌


ペギー葉山 おもいでの岬(PV) 蔵出し演歌PV

さいざんすマンボ

2016年の後半、世界中でも話題となったピコ太郎さんの「PPAPペンパイナッポーアッポーペン)」(PPAPPen-Pineapple-Apple-Pen)。ぼくは2016年の10月頃にYoutubeで初めてPPAPの動画を見ました。見た後思ったのが、「これって、トニー谷さんをフィーチュアしてる?」ということでした。そう思ったのは、以前からYoutubeトニー谷さんの「さいざんすマンボ」の動画をよく見ていたからです。それで周りにも「ピコ太郎って、トニー谷だと思わない?」と同意を求めたりしたんですが、何かその当時は反応が薄かったです…。今じゃビートたけしさんがピコ太郎さんを、「現代のトニー谷」と賞賛してますが。

トニー谷さんは戦後、カタコトな英語とソロバンを駆使した個性的な芸風で一世を風靡したボードビリアンで、歌も数多く歌われていました。「さいざんすマンボ」は1953年に宮城まり子さんとのデュエットでヒットした曲です。作詞はトニー谷さんと宮川哲夫さんの共作、作曲・編曲は多忠修(おおの ただおさ)さんです。宮川さんは宮城さんの大ヒット曲「ガード下の靴みがき」をはじめ、フランク永井さんや橋幸夫さんのヒット曲を提供した方で、この作品の作詞を共作したというのが実に意外です。多さんはジャズミュージシャンの方ですが、雅楽の家に生まれて、自身も宮内庁式部楽生になったんですが、ジャズの道に進んだ変わり種の方で、バンドリーダーとしてトニー谷さんのバックバンドを指揮し、トニー谷さんの歌のほとんどを手がけた方です。

トニー谷さんとピコ太郎さんは、英語で遊んだ歌を歌ったということと、芸風としては道化に徹していることが似ていると思います。一方、トニー谷さんは芸風も毒を放ち続けたのに対し、ピコ太郎さんはそこまで芸に毒があるとはいえないように思います。

むしろ晩年のトニー谷さんは昭和50年代、ハナモゲラ語でデビューし、音楽の素養も持ち合わせ、当時は毒を利かせた芸風だったタモリさんに、自分とのシンパシーを感じていたようで、タモリさん司会の人気番組「今夜は最高!」でも、意気の合ったトークをしていました。

昔の歌手の方も芸人の方も動画を見ていると、自分の芸に徹していて、プロだなあと感心します。ピコ太郎さんはその素養があるように思います。それと年末年始のMCが意外に普通に上手に回していらしたので、歌番組の司会とか適任じゃないかなと勝手に思っています。


トニー谷 さいざんす・マンボ

ごめんよ涙

現在のジャニーズ事務所の繁栄のパイオニアとなったのが田原俊彦さん。ぼくも田原さんの作品は何曲も歌っていますが、その1曲が「ごめんよ涙」という曲です。

この作品は1989年4月19日に田原さんの36枚目のシングルとして発売されました。田原さんが主演した人気ドラマ「教師びんびん物語2」の主題歌にもなりました。このドラマというと、田原俊彦さんの先輩役と野村宏伸さんの後輩役との掛け合いが面白かったのを思い出します。「教師びんびん物語」では、喫茶店のマスター役で漫画家の蛭子能奴さんがドラマ初出演を果たし、生徒役で女優の観月ありささんが連続ドラマ初出演を果たしています。

田原さんのいわゆる全盛期のyoutubeを見ていると、あの当時は歌が下手なのかなと思ってましたが、必ずしもそうではなかったんですね。口パクをやらずに、あれだけ激しい振り付けをしながら歌うことがどんなに大変なことかというのがわかりました。赤い色の衣装が映える田原さんは、1人で歌っていても華があるスターだと思います。

ここ数年、田原さんが再びテレビに登場する回数が増えてきたのは喜ばしいことです。そして、50代になった田原さんは、20代の頃のヒット曲を昔よりも上手く歌って踊っているのは、ご本人の日頃の練習のたまものなんだろうと思いました。20代の時の歌にも50代の時の歌にも、単純に比較できないそれぞれの良さを感じました。

 


ごめんよ涙 田原俊彦

Lovin’ You

YouTubeで音楽を聴いていたら出くわしたのが、横山輝一さんの「Lovin’ You」という曲でした。この作品は1993年2月10日にシングルとして発売されました。横山さんの代表曲ともいえます。当時はスキーのテーマソングだったかなぐらいの記憶しかなくて、今回初めてこの作品をちゃんと聴きました。横山さんの透明感あふれる声質で、パワフルに歌っているのを見て、ぼくも心地よい気分になりました。生歌で聴いたら迫力ある歌を感じられるだろうなあと思いました。

2002年ぐらいまでは音楽シーンも、色々なアーティストが個性的な作品を発表できていたように思います。視聴者にとっては多様な曲を聴けるごった煮感が楽しく過ごせたわけです。いつの頃からか、小室サウンドだけが席巻する時代、エイベックスサウンドだけが席巻する時代、男性アイドルはジャニーズ系ばかり、女性アイドルはAKB系列のグループアイドルばかりとか、どうも1つのヒットトレンドに寡占されてしまう音楽シーンが、日本の音楽界の多様性の機会を失わせているように思えてなりません。どんなミュージシャンにも発表できる機会を広げていった方が、音楽を聴く者としては面白いと思います。

さて、横山さんは他の歌手への楽曲提供もされていたとは知りませんでした。1998年にはMAXの「Ride on time」、2000年にはSILVAさんの「ヴァージンキラー」を提供しています。この曲そうだったんですかって感じです。作られるサウンドがかっこいいと思います。


横山輝一 「 Lovin' You 」

回転木馬

日本の音楽界に大きな影響を与えた外国人ミュージシャンの1組がザ・ベンチャーズThe Ventures)です。1959年に結成されたアメリカのインストゥルメンタルバンドですが、アメリカでのブームは1960年代で終わりますが、1970年代以降は日本をはじめとする世界各国でベンチャーズの音楽が浸透するようになります。今では日本で一番稼いでいるのではないかと思います。1960年代後半から1970年代にかけては、ベンチャーズが日本の歌謡曲を数多く手がけるようになり、「京都の恋」、「雨の御堂筋」といった大ヒット曲を生み出し、いわゆる「ベンチャーズ謡曲」というジャンルができました。メンバーのジェリー・マギー(Gerry McGee)が日本好き、日本食好きだったことによる影響が大きかったと言われています。

そんな「ベンチャーズ謡曲」の1つに、牧葉ユミさんという歌手が発表した「回転木馬」という作品があります。ご存知の方も多いでしょうが、山口百恵さんが当時の人気オーディション番組「スター誕生」で歌ったのが、この「回転木馬」です。ぼくは牧葉ユミさんも「回転木馬」も全く知りませんでしたが、今回初めて聴いて、その後の山口百恵さんの初期のヒット曲の原点になったのではないかと思っています。歌い方は牧葉さんと百恵さんでは違うんですが、「百恵さんが歌った回転木馬」をイメージしてみると、「青い果実」や「冬の色」や「夏ひらく青春」といった曲の萌芽を感じるのです。またそれは、百恵さんが自分に合った作品を見つけてきて歌って、歌手デビューできたという意味での選曲感も素晴らしかったと思います。

ぼくもDAM★ともでいろいろな曲にトライして歌いますが、何となく食わず嫌いだった曲が実は自分に合っていたことに気づき始め、面白い化学反応を感じるような、そういう曲に出逢えたら嬉しいですね。


回転木馬 / 牧葉ユミ