DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

太陽の下

DAM★ともで最近お気に入りにしているユーザーさんが公開している曲が、レミオロメンさんの「太陽の下」という曲です。この作品は2006年3月1日に発売されました。8枚目の作詞・作曲はボーカルの藤巻亮太さん、編曲はレミオロメン小林武史さんの共作です。

レミオロメンさんの代表作というと「粉雪」ですけど、ぼくは「太陽の下」の方が好きな曲です。ピアノのイントロで始まるアレンジの後、藤巻さんの強くて太いボーカルで、一つ一つの歌詞をかみしめるように歌っていき、サビでは大きな声で訴えるように歌う姿が、地味だけどとても安定感があって、骨太な歌だなあと思います。

 笑って 心開いたら あなたの事 好きになった 一巡り太陽の下で
 深い眠りから覚めたら もう少し素直に生きたいよ
 だってあなたに会いたいから

このサビの歌詞のところが好きで、歌っていても心が洗われます。最近は歌っていなかったので、ユーザーさんの歌声を聴いて、久しぶりに歌ってみようと思いました。

実はこの作品はもともとニューヨークで録音されたそうです。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの現場となった、ワールドトレードセンタービルの跡地「グラウンド・ゼロ」で感じ取った思いを書いたのがこの「太陽の下」だったとは知りませんでした。


レミオロメン 太陽の下 ライブ

 

 

everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-

DAM★ともを始めてから、たまに歌うのがMr.Childrenさんの作品です。最近友達とカラオケに行ったとき、「ミスチル歌ってよ」と言われ、歌ったのが「everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-」でした。

この作品は元々は1994年11月10日に発売されたシングル「Tomorrow never knows」のカップリング曲となる予定でしたが、周りの評判が良かったらしく、急遽シングルとしてリリースが決まりました。そのため、僅か1か月後の1994年12月12日にこの作品はシングルとして発売されました。

歌詞は桜井和寿さんが書いています。当時の社会世相も含めて、「ガンバリ屋さんのサラリーマン」と、「ムービースターを夢見る女の子」と、「愛する一人娘のために良かれと思う事はやってきたお母さん」と、そんな親心とは裏腹に「学校フケてデートクラブに行き、家に帰れば可憐な少女を演じる娘」が出てきます。こんな「複雑に混ん絡がった社会」で、「秩序のない現代」に、桜井さんはドロップキックしたかったんですね。歌詞の最後は「everybody knows  everybody wants  でも No No No No 皆病んでる 必死で生きてる」で終わります。今から23年前の歌詞なんですが、今とちっとも変ってないなあって思いました。むしろ、今の方がもっと病んできてるんじゃないかなあって思います。これでいいのか日本?って感じですね。

それでこの歌を歌ったぼくに友達が、「ミスチルで、これきた?もっとミスチルらしいのくると思ったよ」と一言。いやいや、この作品は120万枚も売れたんですよ。ミスチルらしいっていうのは、メロウなバラード風みたいな感じをいうんでしょうね。ぼくは、世間でいうミスチルらしいのとは違うこの作品は好きな曲です。


Mr.Children「everybody goesー秩序のない現代にドロップキックー」

シスター

ぼくがDAM★ともを始めてから、よく歌うペースまではいきませんが、割と歌っているアーティストがポルノグラフィティさん。アキヒトさんの歌声も歌い方も好きなんですが、ハルイチさんが書く歌詞の世界観も好きなので、作品の難しさはありますけど、挑戦して歌っています。彼らの作品で、思い出深いのは「シスター」という作品です。

1999年9月8日に「アポロ」でメジャーデビューしたポルノグラフィティが間もなく5年を迎えようとする直前、因島時代から一緒に活動してきたTamaさんが脱退を表明しました。アキヒトさんとハルイチさんの2人組となった彼らが、デビューからちょうど5年後の2004年9月8日に発売したシングルが「シスター」でした。作詞はハルイチさん、作曲はak.hommaこと本間昭光さん。本間さんはデビュー以来ポルノグラフィティの作曲、編曲、プロデュースを全面的にサポートしています。

前作の「ラック」がロックバンドらしい作品だったのに対し、「シスター」はロックではなく、かといってJ-POPとも歌謡曲とも言い切れない、ボーダーレスなサウンドです。第一印象は暗い曲だなと思いました。後日、アキヒトさんとハルイチさんがいくつかのインタビューで「シスター」について、「暗い曲だけど、ぼくたちは前向きな気持ちで出した曲」とか、「ポルノグラフィティを止めようと思ったことが一度だけあったが、もう一度前に進もうと決心したときにリリースした曲」と話していました。結局、Tamaさんの脱退をめぐって、相当の葛藤があったのが窺えます。

いま振り返って「シスター」の歌詞を読むと、「風が便りを運ぶというなら 僕に宛てた風は吹いていない」というのは、「Tamaさんが書いた曲にもう自分(ハルイチさん)は詞を付けることはできない」と推察してしまいます。「あなたのために祈る事なら 今の僕にも許されるでしょう」というのは、「一体あのとき、何があったんですか」と聞きたくなる気持ちになります。「流れ流れて漂う先で 懐かしい日々を思い出してる」というのは、3人で回った全国ツアーの思い出なんだろうなって。「悲しみが友の様に 語りかけてくる 永遠に寄りそって 僕らは生きていく」は、残った2人が葛藤を乗り越えて、前に進む決意表明なのかな。「数えきれない人の涙で 夜明け前の海は今日も蒼い」と、ファンの悲しみの涙も、そして3人での活動を終えることになった涙の日々は結構長く続いたのかな。これで1コーラス終わってしまったんですが、2コーラス以降も、やはり歌詞に託されたハルイチさんとアキヒトさんの正直な気持ちが如実に現れていたんだなと感じます。それで、作品の題名でもある「シスター」って何だったんだろう。たぶん、「美しいシスターの祈り」って、自分たちの音楽がいつまでも多くの人々に届くようにという祈りであったような気がします。「西の海まで 舟は流れて たそがれと一緒に沈めばいい 明日になったら会えるのかな」は、いつかまた3人で音楽を作ろうなっていう気持ちが滲んでいるように感じました。

「シスター」は、ポルノグラフィティの数多くの作品の中でも、ぼくの心にじんときて、自分を見つめさせてくれて、そして励ましてくれるような曲だと思います。

「シスター」を歌ってみたyoutuberさんの映像で、どういう曲か聴いてみてください。(ぼくではありません。)


ポルノグラフィティ シスター 歌ってみた

 

スポットライト

若手演歌歌手の山内惠介さんが2015年2月18日にデビュー15周年記念として発表したシングル「スポットライト」。ぼくがこの歌を聴いて「なんか、歌の世界が「神田川」みたいだなあ」と思ったら、作詞はかぐや姫の「神田川」の作詞を書いた喜多條忠さんでした。作曲は水森英夫さんで、氷川きよしさんの作品で有名な方ですが、山内さんも氷川さん同様に、デビュー以来水森さんに師事しています。山内さんはこの作品で2015年に紅白歌合戦に初出場を果たしました。

この作品は演歌というより青春歌謡っぽい感じです。「神田川」がヒットした1973年から42年経った2015年になって、銭湯の数は減りましたけど、アパートは今でも都心でも数多く建っています。最近の学生さんはオートロック付きのマンションじゃないとだめという人も多いですが、東京は家賃が高いですから、少しでも倹約してという人はアパートは貴重です。まだ昭和が残っている風景が今もあるように、この作品の歌詞も昭和の名残を残しつつ、いつの時代も変わらない青春を描いています。

 若さという名の 舞台には スポットライトが ふたつ点(つ)く
 君のさびしさ 僕の夢 都会の隅のアパートに 最終電車の 音がする
 みつめ愛 抱きしめ愛 みつめ愛 抱きしめ愛
 失うものなど 何もない 君のいなくなる日が こわい

作詞も作曲も実に無駄がない仕上がりだなと思いました。この作品で作詞の喜多條さんは、日本作詩大賞優秀作品賞、日本レコード大賞作詞賞を受賞されています。


山内惠介 - スポットライト

 

演歌歌手の冠二郎さんが1992年の紅白歌合戦で歌った「炎」は、今までの冠さんのイメージを打ち破っただけでなく、若い人たちにも「面白い演歌がある」ということで浸透しました。「炎」の作詞は三浦康照さん、作曲は和田香苗さんです。冠さんは1967年に歌手としてデビューし、同時に三浦さんに師事し、研鑽を積まれたそうです。その後、三浦さんが和田さんを紹介し、冠さんは和田さんにも師事するようになりました。冠さんは1977年に発売した「旅の終りに」がヒットしますが、このヒットのイメージもあって、割と真面目に歌うタイプの演歌歌手というイメージがありました。

長年の歌手活動が実を結び、1991年に紅白歌合戦に初出場を果たしますが、これでチャレンジ精神が芽生えてきたのか、冠さん、三浦さん、和田さんの師弟コンビによって生まれたのが「炎」でした。イントロから「セイヤ!」と掛け声で始まるのも異色でしたが、やはりあの部分「アイ・アイ・アイ ライク エンカ アイ・アイ・アイ ライク エンカ」が、視聴者に強烈な印象を与えました。「何だこれは?」と驚き、「これは面白い」となってしまったんですね。

歌をお客さまに聴いていただくためには、色々と試してみなきゃいけないんだなというのが感じられました。冠さんは歌声で歌っているだけでなく、アクションで歌い、顔の表情で歌っているようです。


fire

Best Friend

SMAPが印象的な場面で歌うことが多かった「Best Friend」という曲。この作品は元々はNHK「みんなのうた」で放送するために作られました。作詞は当時中学生だった福島優子さんが行い、これに森浩美さんが補作詞をされました。それでできあがった作詞に曲を付けたのが筒美京平さんでした。この曲を作ったのが筒美先生だったということに驚き、SMAPとの接点があったことにも驚きました。

最近も「みんなのうた」で「Best Friend」がOAされていました。元々の歌詞は、「僕のBest Friend」は「お母さん」という内容だったので、「みんなのうた」では、歌詞の最後のところは「Best Friend、Best Friend 大好きなひと とっても とっても ママはベストフレンド」で終わります。

1992年7月8日にSMAPの4枚目のシングル「負けるなBaby!~Never give up」(この曲は知りませんが)のカップリング曲として、「Best Friend」が収録されますが、CD化の際に歌詞の最後の「ママはベストフレンド」が「僕のBest Friend」に書き換えられました。ただ、「ママはベストフレンド」の名残は3コーラス目の歌詞に残っていて、「今夜 テーブルにメモを置いておくよ 「ごめんなさい!」って 小さく書くつもり」という一節は、いかにもママに謝るのが恥ずかしい子供の感じが出ています。

というわけで、友達の歌に変わったからなのか、その後SMAPは、例えば森且行くんが1996年5月に「SMAP×SMAP」最後の出演をしたときに、森くんのセレクトで最後に歌ったのがこの作品でした。中居くんが号泣してしまったんですよね。(その条件反射なのか、この作品のときは中居くん必ず泣きますね。)また、2002年1月に稲垣吾郎くんが復帰したときもこの作品を歌いました。そしてこの作品は2016年12月に発売された「SMAP 25 YEARS」で初めてオリジナル音源が収録されています。


【SMAP×SMAP最終回】SMAP BEST FRIEND

今週のお題「カラオケの十八番」

今週のお題「カラオケの十八番」

ぼくは「DAM★ともアウフヘーベン」というカラオケのブログを書いています。カラオケがお題になるのは嬉しいです!

カラオケにはよく行きますが、常に喉の調子がいいとは限りませんし、歌っていてもいま一つノリが悪いような…というときもあります。が、そんなときでも、一応安定して歌える曲が、ぼくにとっての「十八番(おはこ)」なのかなって思います。

福山雅治さんの「Message」、Kinki Kidsさんの「ボクの背中には羽根がある」、森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」、野口五郎さんの「コーラスライン」、レディオサイエンスさんの「雨音はショパンの調べ」あたりかなあ。