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DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

Best Friend

SMAPが印象的な場面で歌うことが多かった「Best Friend」という曲。この作品は元々はNHK「みんなのうた」で放送するために作られました。作詞は当時中学生だった福島優子さんが行い、これに森浩美さんが補作詞をされました。それでできあがった作詞に曲を付けたのが筒美京平さんでした。この曲を作ったのが筒美先生だったということに驚き、SMAPとの接点があったことにも驚きました。

最近も「みんなのうた」で「Best Friend」がOAされていました。元々の歌詞は、「僕のBest Friend」は「お母さん」という内容だったので、「みんなのうた」では、歌詞の最後のところは「Best Friend、Best Friend 大好きなひと とっても とっても ママはベストフレンド」で終わります。

1992年7月8日にSMAPの4枚目のシングル「負けるなBaby!~Never give up」(この曲は知りませんが)のカップリング曲として、「Best Friend」が収録されますが、CD化の際に歌詞の最後の「ママはベストフレンド」が「僕のBest Friend」に書き換えられました。ただ、「ママはベストフレンド」の名残は3コーラス目の歌詞に残っていて、「今夜 テーブルにメモを置いておくよ 「ごめんなさい!」って 小さく書くつもり」という一節は、いかにもママに謝るのが恥ずかしい子供の感じが出ています。

というわけで、友達の歌に変わったからなのか、その後SMAPは、例えば森且行くんが1996年5月に「SMAP×SMAP」最後の出演をしたときに、森くんのセレクトで最後に歌ったのがこの作品でした。中居くんが号泣してしまったんですよね。(その条件反射なのか、この作品のときは中居くん必ず泣きますね。)また、2002年1月に稲垣吾郎くんが復帰したときもこの作品を歌いました。そしてこの作品は2016年12月に発売された「SMAP 25 YEARS」で初めてオリジナル音源が収録されています。


【SMAP×SMAP最終回】SMAP BEST FRIEND

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今週のお題「カラオケの十八番」

今週のお題「カラオケの十八番」

ぼくは「DAM★ともアウフヘーベン」というカラオケのブログを書いています。カラオケがお題になるのは嬉しいです!

カラオケにはよく行きますが、常に喉の調子がいいとは限りませんし、歌っていてもいま一つノリが悪いような…というときもあります。が、そんなときでも、一応安定して歌える曲が、ぼくにとっての「十八番(おはこ)」なのかなって思います。

福山雅治さんの「Message」、Kinki Kidsさんの「ボクの背中には羽根がある」、森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」、野口五郎さんの「コーラスライン」、レディオサイエンスさんの「雨音はショパンの調べ」あたりかなあ。

高校3年生

ぼくがNHK「みんなのうた」で初めて聴いて、何かいい歌だなと思ったのが、森山直太朗さんの「高校3年生」という曲でした。森山直太朗さんは当初、森山良子さんの息子であることをオープンにせず、「直太朗」の名前でインディーズ活動をしていました。2001年3月7日に発売されたインディーズアルバム「直太朗」に収録された1曲が「高校3年生」でした。

実はこの作品は、直太朗さんが初めて作った曲とのことで、実はお母さんである森山良子さんに歌ってもらいたいと思って作ったものでした。そのデモテープを自宅の、良子さんが目につきそうな場所に置いていたそうです。それを聴いた良子さんが、「年代を考えても、声の感じを考えても、これはあなたが歌いなさい」とアドバイスしてくれたそうです。そのことがきっかけで、直太朗さんは音楽の道に進むことを決意したそうです。

そして、これも有名なエピソードですが、直太朗さんがストリートライブをしていた時、買い物帰りだった俳優の斎藤工さんがそのライブに出くわして、直太朗さんの歌声を「衝撃的な美しい声だった」と感じて、買ったのが「高校3年生」のシングルだったそうです。おそらくこの当時は2001年だと思いますので、斎藤さんも俳優デビュー前後の頃だったんですね。

youtubeでこの「高校3年生」の雰囲気に、うまくアニメのシーンを合わせた作品を見つけました。「たまこラブストーリー」というアニメだそうです。京都が舞台のようで、京都駅、京都タワー、鴨川が登場しています。残念ながらその映像はここでは掲載できませんでした。弾き語りをしている方の映像で曲の雰囲気を感じていただければと思います。


森山直太朗 高校3年生 弾き語り

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I Want It That Way

DAM★ともでは洋楽を歌うユーザーさんも多いですが、ぼくがよく聴いているユーザーさんが歌っていて、最近覚えたのが、Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)の「I Want It That Way」です。

Backstreet Boysはアメリカの5人組ポップ・アイドルであり、世界で1億3,000万枚のセールスを築いたスーパーグループです。1995年にデビュー、「I Want It That Way」は1999年に、アルバム「Millennium(ミレニアム)」の先行シングルとして発売されました。20か国以上の国の音楽チャートで1位を獲得し、今では彼らの代表曲の1つになっています。ただし、アメリカのBillboard Hot 100では最高6位なんです。アメリカの歌手なんですけど、アメリカよりもヨーロッパでの受けが良いグループです。

彼らは1972年から1980年までの生まれで、日本でいうとSMAPとほぼ同年代なんですね。これを書くと「SMAPと比べるな」と言われる方もいますが、日本のエンタテイメントにおけるSMAPの活躍は別に卑下するものではなく、日本の代表的ポップ・アイドルとして、ワールドワイドなBSBと比べたって別に構わないと思います。


Backstreet Boys - I Want It That Way

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「犬神家の一族」より 愛のバラード

犬神家の一族」は1976年(昭和51年)に公開された映画で、小説家の横溝正史さんの長編推理小説犬神家の一族」を映画化しました。制作した角川春樹事務所の第1号の映画でもあり、この映画の大ヒットにより、「角川映画」の隆盛の時代が続くことになりました。薬師丸ひろ子さんや原田知世さんも「角川映画」から生まれたスターです。

さて、「犬神家の一族」の音楽を担当されたのは作曲家の大野雄二さんです。「愛のバラード」というインストロメンタルを作られたんですが、この「愛のバラード」はいくつかのバージョンが作られていて、その一つがこのインストロメンタルに、作詞家の山口洋子さんが歌詞をつけて、シャンソン歌手の金子由香利さんが歌っているバージョンがありました。

本職のシャンソンでは語るように、ささやくように歌う金子さんですが、この作品では割に朗々と歌っています。金子さんの低くふくよかな歌声を聴いていると、田舎道を走る金田一幸助や、湖でさかさまになって死んでいる助清(の偽物ですが)や、一堂の中で犯人とわかってしまった松子夫人が煙草を吸って自殺してしまう最後のシーンなど、映画のさまざまなシーンが浮かんできます。


犬神家の一族 愛のバラード 金子由香利

残念ながら、DAM★ともにはこの作品は収録されていません…。

広がりだすんだ僕らの未来は

SMAPへの楽曲提供で有名になった林田健司さんは、ご自身のオリジナルの作品もファンキーでダンサブルでかっこいいものが多いです。林田さん自身も歌っている姿がとてもかっこいい方です。

ぼくも林田さんの作品を歌ってみたいと思って、youtubeで探してみたのが「広がりだすんだ僕らの未来は」という作品です。この作品は2010年12月1日に発売された林田さんのアルバム「GOLD」に収録されています。DAM★ともで歌える曲は「GOLD」の中ではこの作品だけです。林田さんにしては珍しくバラードっぽい曲で、ファンキーではなく普通に、僕らの未来に向かって進んでいこうという、壮大なスケールを感じさせる作品に仕上がっています。林田さんのファンの方にとってはこういう作品は凡庸に感じてしまうらしいですが、ぼくはたまに林田さんが作ってくれる、「歌謡曲っぽさ」をどこかに残しているバラードが割と好きです。こういう曲ならぼくも歌えそうかなと思うからでもありますが。そもそも、DAM★ともで歌える林田さんの作品が少ないんですね。ぼくは「夜空かけて」という林田さんの作品が結構好きで、kinki Kidsに提供した作品らしいんですが、残念ながらDAM★ともには入っていません…。

一般の方にはあまりにもマイナーな作品だと思いますので、林田健司さんの作品を聴いていただければと思います。


広がりだすんだ 僕らの未来は


夜空かけて

甘い十字架

現在の日本の歌謡界で、高い歌唱力を持った男性ボーカリストというと、ぼくは布施明さんを挙げたいと思います。年齢を感じさせないパワフルなボイスと、時には激しく、時には包み込むような歌の表現力は、後輩の歌手たちが見習うべきことが多々あると思います。

そんな布施さんも若い頃はアイドル歌手のような扱いをされていました。1973年(昭和48年)の紅白歌合戦で、布施さんは7回目の出場でしたが、白組のトップバッターとして「甘い十字架」(作詞は安井かずみさん、作曲は加瀬邦彦さん、編曲は馬飼野康二さん。)を歌われました。当時の持ち時間は2分弱で、男性歌手が歌いながら何かをすること自体に抵抗感があった当時に、布施さんは衣装の早替えとか、紅白で何かと試していた頃でした。今から見るとまだ初々しさが残っています。布施さんのアイドル時代はこの年あたりで終わります。昭和49年には「積木の部屋」がヒットし、昭和50年には「シクラメンのかほり」で日本レコード大賞を受賞し、一気に歌唱力のあるアーティストとしての道に入っていくことになります。


布施明 甘い十字架

 

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